チャールストン



18世紀、アメリカ最大の貿易港
チャールストンはサウスカロライナ州東部沿岸、複雑に蛇行したアシュレー川とクーパー川に挟まれた半島に位置し、河口は深く大きな入江となっていて港湾都市として発展する素地を備えている。面積は348平方km(147平方マイル)。大自然と生態系の多様性に恵まれ、町の北側にはフランシスマリオン国立森林公園が広がり、さらに北にはモートリー湖、マリオン湖があり野生動物保護区となっている。
1670年、イギリス入植者により集落がつくられイギリス国王チャールズ2世にちなみチャールズタウンと命名された。領有権を主張するスペインやフランス、そして先住民との幾多の争いを経て次第にカロライナ植民地の中心地として発展してゆく。
18世紀に入り当地は大西洋貿易港として繁栄をきわめた。当時のヨーロッパでは鹿皮は馬具や書籍装丁用として大量の需要が

あり、文明化五部族の先住民から供給される鹿革を輸出、アフリカから奴隷を輸入した。
文明化五部族(Five Civilized Tribes)とはヨーロッパ入植者の生活文化を受け入れたチェロキー、クリーク、チカソー、チョクトー、セミノールのインディアン5部族を指し、彼らは独立戦争、南北戦争の徴兵にも応じた。
チャールストンは戦争、大火事、ハリケーン、洪水など度重なる災害に見舞われた土地でもある。1886年のチャールストン大地震では多くの建物が倒壊、1989年のハリケーン・ユーゴーの被災は記憶に新しい。しかし輝かしい過去の歴史を持つチャールストンの人々にとって町並み保存は最大の課題であり、莫大な財政投入により現在の美しい町が維持されている。碁盤の目のように区画された歴史地区はイギリス人が入植した1670年にすでに計画されていたという。

タオスプエブロ



今もなおプエブロ族が住むアメリカ最古の木造集合住宅
ニューメキシコ州中北部タオス(Taos)の北側に位置し、面積は384平方km(148平方マイル)、標高は2199m。
タオスプエブロは13世紀に築かれた赤褐色のアドビ(Adobe)煉瓦で建てられたインディアン)プエブロ(Pueblo)族の住居遺跡。そして現在も百人前後のプエブロ族が実際に生活を続けている。1978年、ユネスコ世界文化遺産に登録された。
アドビとは日干し煉瓦のこと。粘土にわらや砂などを混ぜ、型に入れ天日にさらして乾燥させた建築材料。アドビを積み上げ表面を泥で塗り固めて建物を強固に保つ。アドビは吸収した太陽熱をゆっくり放出するため夏は涼しく、冬は暖かい。防音性、耐久性にも優れる。
アドビは南北アメリカ、中東、北アフリカ、スペインでも利用されているが、タオスプエブロはとりわけ素晴らしい。やわらかい



曲線と面で構成された建築造形はニューメキシコ州の乾いた大地、澄み切った真っ青な空と見事に調和して美しい。タオスプエブロは16世紀にスペイン人による侵攻、その後のメキシコ支配、1847にはアメリカ軍の包囲攻撃により陥落した。しかし1970年、アメリカ政府は当地をプエブロ族に返還した。
タオスプエブロは北に山脈(写真4)が聳え、西にリオグランデ川(写真6)、南に土地が開けている。集落の中を流れる小さな川(Red Willow Creek、写真5)は、古来プエブロ族に聖地として崇められてきたブルー湖(Blue Lake)から流れ出る。
澄みきった空気感が清々しく、地理風水に恵まれた強いパワースポットの土地である。
しかし当地は先住民居留区(Indian Reservations)であり観光目的での土地開発はできない。またブルー湖に無許可で訪れることも禁止されている。

セドナ




古くは先住民の聖地、現在はヒーリング・リゾート
セドナはアリゾナ州北部、面積は48平方km(19平方マイル)、最大標高は1319m。アリゾナ州は南北に645kmありサボテンが林立する南部の砂漠地帯は暑く、反対に北部の森林地帯は冷涼、冬には降雪もある。セドナは典型的な北部アリゾナの気候。
樹林を縫うように流れるクリークは初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々に姿を変え美しい。また凛と澄むセドナ特有の空気感、赤から紫、深い青のグラデーションに染まるロックマウンテンの夕景はまさにアメリカ大自然のハイライトともいえる。
この魅力的な景観に加え、この土地特有のスピリチャルな霊力がセドナの名を世界中に広めることとなった。
かつてセドナは千年以上に渡りインディアンの信仰の中心地として崇められた土地であった。数多くの岩山、とりわけエアポートメサ、カセドラルロック、ベルロックなど7箇所の地中には巨大な



磁場エネルギーがあり、これが天空に向けて渦巻状に放出されている。これをアメリカではボルテックス(Vortex)と呼び、メンタルヘルスや運気に影響をもたらすという。
セドナはコロラド台地という火山地帯の活断層上にあり今も地殻活動が続いている。また地中には鉄分とクリスタルが多く含まれ、またターコイズ、ラピスラズリなどの輝石も埋蔵されている。
実際にセドナでは心身がとても自由に感じられ、曇りのときでも風景がキラキラと輝くように思え、独特の高揚感が得られる。
セドナには度々行くが、とりわけ初夏と晩秋の空気感は格別。最近はパワースポットの側面だけが強調されることが多いが、それよりもこの土地ならではの季節の移り変わりや綺麗な風景を純粋に楽しむ方がよいと思う。

スコッツデール



インディアンアートとイマジネーションの町
スコッツデ―ルはアリゾナ州南部にあり面積は478平方km(184平方マイル)、最大標高は380m。北に小高く、南にソノラ砂漠が広がり、東にソルト川、西には大都市フェニックスを控える。
当地には紀元前800年から紀元1400年頃まで栄えたインディアン、ホホカム(Hohokam)族の文化遺跡がある。15世紀以降はピマ(Pima)族が居住した。
当地のランドマーク、キャメルバックマウンテンはその名の通りラクダの背の形をしていて奇妙。今にも動き出しそうにも見える。スコッツデ―ルの木々や雲、山々など自然界の造形はさまざまに僕のイマジネーションを刺激する。
それは同じくアリゾナのセドナのボルテックスといわれるパワースポット感とは顕かに違い、創造的な大地のオーラともいえるものだ。


フランクロイド・ライトは1937年に砂漠の真ん中に建築学校タリアセンウエストを創設し、20世紀のアメリカ建築に多大な影響を与えた(写真3-4)。スコッツデールの土地柄に惹かれたスペインの建築家パオロ・ソレリは1970年にア-コサンティ(Arcosanti)の建設を開始した。エコロジーコンシャスとゼロエミッションを標榜した未来都市の創造である(写真4-5)。僕は1980年代に大学生40名と共に視察を行き、かれこれ30年経つが今なお建設途上。完成まで、あと数百年かかるとのこと。
20回以上は訪れたと思うほど当地はお気に入り。ホテルは世界最高ランクにある。Sanctuary、Westin Kierland Villas、Phoenician、Scottsdale Princessがとくに印象に残っている。フランクロイド・ライトの設計で有名なArizona Biltmoreにも数日間滞在したが、落胆。建築や歴史に自信があるのか、おもてなし精神はゼロに等しかった。

シャーロット



かつての金鉱山、現在は世界有数の金融センターの町
シャーロットはノースカロライナ州南西部に位置し面積は771平方km(298平方マイル)、最大標高は229m。インディアンのカトーバ族の居住地であった当地に、18世紀中頃スコットランド、アイルランド系のヨーロッパ人が入植した。
シャーロットの地名は当時のイギリス国王ジョージ3世の王妃シャーロットから名づけられた。
1779年、シャーロットの北東部リトルメドウ・クリークで12歳の少年コンラッド・リードが金色の石を発見。それをきっかけに次々と金鉱脈が見つかり50以上に渡る金山が開発され、シャーロットはゴールドラッシュの町として大繁栄をする。
1837年にはシャーロットに造幣局の支局が設置され金貨が鋳造された。ゴールドラッシュは徐々に西へ移動したが、南北戦争以降、綿織物産業の町として再び活況を呈する。



1874年に当地で開業した地方銀行はその後アメリカを代表する銀行バンクオブ・アメリカ(写真-4)となり、ワコビア(Wachovia, Wells Fargo)の本社もシャーロットだ。
20世紀後半、シャーロットはニューヨークに次ぐアメリカ第2の金融都市となった。アメリカ史上はじめて「金鉱脈」が発見され、現在「金融センター」として発展を続ける何とも風水がよさそうな「金」に縁深い町なのである。
とにかく町中いたるところ大手銀行だらけ。連動するかのようにメジャー系列の有名ホテルが数多くある。しかし金融の町だけあって、何となくそわそわとして落着かない。僕たち夫婦は郊外にあるThe Ballantyneを選択、このホテルは普通のように見えて実はかなり上質(写真-1)。控えめで上品。とくに部屋のカーテンはじめ内装が洗練の極み。デザインに優れた空間は人を幸せな気分にさせるのだ。

ジョシュア・ツリー国立公園



奇妙な植物と巨石奇岩がつくる不思議な風景
ジョシュアツリー国立公園はカリフォルニア州南東部に位置し、面積3196平方km(1233平方マイル)は東京都の1.5倍。1994年に国立公園に指定された。
ジョシュアツリー(Yucca brevifolia)とは多肉植物リューゼツラン科ユッカ属の1種。トゲだらけの堅牢な葉と幹を持ち最大樹高15m、春に花が咲く。
この国立公園は僕が好きなアメリカ大自然の典型パターン。地殻の大変動で形成されたダイナミックな地層や巨石、そしてサボテンや多肉植物。こういう土地ではパワースポットに出会えるチャンスが多い。そして、こういう国立公園には必ずといってよいほど過去に優れたインディアン文化があり、彼らが信仰の対象とした聖地があった可能性も高い。
調べてみると1855年には先住民チェマウェベイ(Chemehuev)族



カウイヤ(Cahuilla)族の住居があった。しかし1913年には当地から去ったという。彼らが独自に土地を捨てたのか、ヨーロッパ入植者の迫害があったのかどうかは調べないと不明だが、水脈の変化など地理風水に陰りが出たのかもしれない。
巨石の風景はアリゾナ州ケアフリーに近い。象徴的な岩山に実際に登ってみたが、風が体を通り抜けるような独特のパワースポット感はケアフリーには遠く及ばない。
現在、ジョシュアツリーはロッククライマーの人気スポットになっている。公園の北側にカリフォルニア州道62号、南側にインターステイツ10号があり、公園へのアプローチは3か所。
62号西側からJoshua Tree Visitor Center、62号東側からOasis Visitor Center、南側の10号からCottonwood Visitor Centerにそれぞれ入ることができる。見所は北西部に多いので62号の西から入り東に抜ける、あるいはその逆というのがお薦めのコース。

サンタモニカ



歴史街道ルート66の終着点
サンタモニカはカリフォルニア州ロスアンジェルスの西端、サンタモニカ・ベイに面し面積は21平方km(8平方マイル)。ロスアンジェルスの名称の由来はキリスト教における天使(The Angel)のスペイン語、サンタモニカは紀元4世紀におけるキリスト教の聖人、聖モニカ(Santa Monica)にちなんで命名された。
サンタモニカ海岸から南に向かって順にベニスビーチ、マンハッタンビーチ、レドンドビーチ、ロングビーチ、シールビーチ、ハンテントンビーチ、ニューポートビーチ、ラグナビーチと続く。個人的な趣味でいえばビーチの良さではマンハッタンビーチ、リゾート施設ならラグナビーチ。しかしビーチ、施設、利便性、レストランの4点を総合するとサンタモニカが圧倒的勝利。加えて近年は商業施設の発展も目覚ましく、すべてが揃う素晴らしい土地柄だ。

いいことずくめの場所ながらホテル選びは難しい。何故かというと僕の中ではサンタモニカはビバリーヒルズと競合するからだ。両者は僅か、6マイル20分の距離。あえてサンタモニカに滞在するなら海が見える部屋でないと意味がない。
となるとシャッターズ・オンザビーチ、カサ・デルマール、ミラマーが候補だが、残念なことに海側の部屋数は限られている。独特の雰囲気をもつシャッターズがやはり一番。しかしこのホテルの海岸に面した部屋に泊ったことがあるが、料金の割に部屋は狭いしコンパクトなクローゼットは荷物の多い海外ツーリストには向かないと思った。
どうしてもビーチに面したホテルということなら南に脚を伸ばせばよいし、ラグジュアリーなホテルは東側に行けばいくらでもあるので、盛りだくさんのリゾート地で快適に滞在するのは案外たいへんだということである。

サンタフェ



プエブロインディアン・アートの町
サンタフェはニューメキシコ州の州都。面積は97平方km(37平方マイル)、2130mの標高はアメリカ州都では最高。サンタフェは僕のもっとも好きな町。春夏秋冬すべての季節に何度も訪れたが、とりわけ初秋は素晴らしい。
キャニオンロードには赤い野生リンゴが実り、サンタフェ山のハコヤナギが鮮やかな黄金に色づく。真っ青な空、乾いた風とキラキラと輝く日差しはサンタフェ特有の魅力である。
人口たった6万人の田舎町に10以上の美術館、そして数百のアートギャラリーがあり、洗練された料理を出すレストランがたくさんあり、Inn of Anasaziという上質なホテルもある。その文化度の高さは神秘的ですらある。
サンタフェには1万2千年前から人類が居住していた。11世紀にはインディアン、プエブロ(Pueblo)族が集落を形成し、当地は古来



よりパワースポットとして崇められてきた。15世紀に入植したスペイン人がプエブロ族を制圧し1607年にサンタフェの町が創設された。1824年、メキシコ独立にともないメキシコ領となり、1846年にアメリカ支配下となった。
1958年、徐々に寂れつつあったサンタフェに景観条例が施行された。建築スタイルを2種に限定して独特の町並みをつくろうという町興しの試みである。アドビ(Adobe)煉瓦によるPueblo RevivalとSpanish Colonialである
景観条例は日本にもあるが建築のデザインや色彩を規定するものではない。京都祇園の古くからある町並みにコンクリートのビルがひとつ出来ただけでも、あたりの空気感は一変する。ともかくサンタフェの厳しい条例は成功を収めた。
規制がサンタフェ・スタイルというあらたな文化価値を創出したのである。

サンタバーバラ



地震復興で生まれ変わった町
サンタバーバラはカリフォルニア州中部にあり面積は107平方km(41平方マイル)、ロスアンジェルスから西に30マイル。町の真南に太平洋、北側に森林が広がる地形で一年を通じて快適な気候を持つ、人が住むには理想的な土地柄だ。
この自然環境は先住民にとっても望ましい土地だったに違いない。事実、1959年に当地で1万3000年前の人骨が発見された。アーリントン・スプリングスマン(Arlington Springs Man)と名付けられたアメリカ最古の人骨である。
この人骨の子孫、インディアンのチュマシ族に当地ではじめて出会ったヨーロッパ人はスペイン船の航海士フアン・ロドリゲス・カブリリョ(Juan Rodriquez Cabrillo)で1542年と記録にある。きわめて個性的な発音で言葉を話す民族だったという。
1769年にスペイン人のガスパル・デ・ポルトラ(Gaspar de

Portola)もアメリカ探索中にチュマシ族に遭遇、音楽や贈り物で丁重にもてなされたという。当時チュマシ族の人口は1万人を超えていたが、その後当地から追われることになった。
スペイン人により建設された当地は1812年の大地震と津波で崩壊、メキシコ領を経て1848年にアメリカ領となった。
1925年、当地は再び大震災に見舞われ町の大部分が倒壊した。行政と市民グループはあらたな町づくりを提唱し、結果としてサンタバーバラは独特のスペイン植民地時代の雰囲気を持った美しい町並みに変わった。スパニッシュコロニアル・リバイバル(Spanish Colonial Revival)という昔なつかしい様式に絞る建築規制が町に統一感を生み出したのだ。
災い転じて福と成す。建築とデザインが町に活力をもたらしサンタバーバラはアメリカを代表する洗練されたリゾート都市に発展したのだ。

サンアントニオ



温暖、適度に雨が降り緑ゆたかな美しい町
サンアントニオはテキサス州内陸部の中程にあり、面積は1067平方km(412平方マイル)、最大標高は198m。アメリカのベネティアと例えられるリバー・ウォークとアラモが観光的な目玉。
アラモはテキサスに入植したスペイン人によりキリスト教の布教を目的として1718年に建築された伝道所。正式名称はMission San Antonio de Valero。1960年にNational Historic Landmarkに指定された。
アラモの名を有名にしたのは1836年に起きたアラモ砦の13日間戦争。スペイン統治下にあったテキサス独立派百数十名が反乱を起こし、鎮圧に当たったメキシコ軍数千名と戦い、結局、全員戦死する。後にテキサス独立の引き金となったが兵士の勇気は後々まで語り伝えられ、アラモ砦はテキサス魂を称える象徴的な史跡となった。



アラモの兵士は多くの映画でも描かれている。1960年公開のジョン・ウェイン監督「アラモ(The Alamo)」がその代表。監督自身がデイビット・クロケット役を演じた。
テキサス兵のウイリアム・トラビス大佐をローレンス・ハーベイが、ジェームズ・ボウイ隊長役はリチャード・ウィドマークという豪華な顔ぶれだった。
この超大作は大ヒットしアカデミーの最有力候補となったが賞は取れなかった。戦争が美化され過ぎている、ストーリーが史実と違うのではないかという意見が投票権を持ったジャーナリストから出たという。大衆に迎合しないアメリカジャーナリズムの優れた一面でもある。
いずれにしてもベトナム戦争前夜の社会風潮に加え、ジョン・ウェインの政治信条が強く反映された映画であった。彼はこの映画に私財を投じ、結局多額の資産を失った。