マード



1880’s Town、西部開拓時代の町
マードはサウスダコタ州中部ジョーンズ郡最大の町、東方にミズーリ川が流れる。郡の面積は2517平方km(972平方マイル)。東京都より広い面積に人口が1000人、気が遠くなるほど人口密度が低い典型的な過疎の地である。
サウスダコタ州はインディアンの州としても知られている。スー族の言葉「Dakota(仲間)」が州名となった。紀元前にはパレオ・インディアンが住み、1800年頃にはスー族の居住地となった。そのIndian Reservationにヨーロッパ入植者の侵入が相次ぎ、西部開拓時代には白人とインディアンの抗争が頻発した。
そんな時代の町並みを再現したのが1880’s Townである。アメリカ各地から西部開拓時代の古い建造物を集めて町をつくったという。ちなみに1880年は日本では明治13年、鹿鳴館が完成したのは1883年。

僕たち夫婦は前夜にマードの町に宿泊し、そこから出掛けた。インターステイツ90号を西に30マイル、30分の距離だ。
1880’s Townの創始者 Richard Hullingerは1969年に14エーカーの土地を購入、3年後に80エーカーを買い足し、町づくりを開始した。Dakota Hotelはドラパー、教会はディクソン、Wells Fargo銀行と電報局はゲティスバーグから移築された。
当時の市長の執務室もありデスク周りのレトロな文房具にも感動。ほかに鉄道駅、保安官事務所、散髪屋、レストラン、バーなどもあり、本当に1880年代に迷い込んだようなうれしい気分になった。
今にも雨が降りそうな重苦しい空、風がピュ―ピュ―と吹き、舞い上がる砂埃。バーの扉がガタンガタンと開閉する、というような西部劇日和のシチュエーションを期待していたが、案に相違して清々しく気持ちのよい晴天だった。

ホワイトサンズ国立モニュメント




見渡す限り、真っ白な砂の雪景色
ホワイトサンズ国立モニュメントはニューメキシコ州南部、面積は710平方km(275平方マイル)、最大標高は1218m。東にサクラメント山脈、グアダルーペ山脈、西をサンアンドレアス山脈に囲まれたトウラロサ盆地にあり、1933年に国立モニュメントに指定された。国境の町、エルパソから100マイルの距離。
白砂の海岸は世界各地にあるが、実際には白褐色の石英砂が強い太陽に反射して白く見える。しかしホワイトサンズの砂は手に取ってじっくり見ても正真正銘の純白。この砂はアラバスター(雪花石膏)という結晶物で、数億年前に海洋だった当地域が大陸移動と土地隆起、太陽熱と複数回に渡る氷河期を経て石灰岩、石膏、塩分の堆積物が凝縮したという。写真で見ると雪景色のようにも見えるがここはアメリカ最南端、全然寒くないし、真っ白な砂丘風景は美しいというより不思議世界という感が強い。



不思議つながりで、余談。ホワイトサンズの東にロズウェルという町がある。ロズウェル事件(Roswell UFO Incident)で一躍世界中に名が知られた町である。その事件とは空飛ぶ円盤が墜落し、残がいをアメリカ空軍が回収したという前代未聞の騒ぎ。
出来事はいったん収束したが、のちの1978年にJesse Marcelという空軍少佐がテレビのインタビューで円盤に搭乗していた異星人の遺体の存在について爆弾発言し、再度大騒動となった。数多いUFOとの遭遇事件のなかで、もっとも信憑性が高い事例だと言われている。
元々ニューメキシコ州南部ではUFOの目撃談が多いという。ホワイトサンズにはアメリカ空軍の核ミサイルのテスト基地があり、それが関係しているという説もあるが、真偽は不明。
期待はあったが、ともかく僕たち夫婦は空飛ぶ円盤を見ることは出来なかった。

ホットスプリングス国立公園



スパの始祖バスハウス、伝統的な温泉療養地
ホットスプリングス国立公園はアーカンソー州中央部に位置し、面積22平方km(9平方マイル)は国立公園では最小。最大標高は317m。1921年に国立公園に指定された。
源泉地帯となるノースマウンテン、ウエストマウンテンおよびその谷間のバスハウス・ロウが公園エリアだが、商業施設やホテルが立ち並ぶ景観はアメリカ国立公園としてはきわめて異質。
当地は数千年に渡りインディアンが居住し温泉は身体保養に活用されていた。1541年にスペイン人によって発見され、17世紀にフランス人が入植した。
1875年にはじめての高級ホテル、アーリントン(Arlington)が開業(写真-6)、同年にホットスプリングス鉄道も開通し温泉観光地として徐々に発展してゆく。
しかしバスハウスの入湯者数は1946年の64万人をピークに徐々

に減少しだす。長らく滞在し療養するバスハウスは現代生活には向かない。洗練されたスパリゾートの普及、医学の進歩も遠因。そのせいか町全体の寂れた感じは否めない。アーリントンに2泊したが老朽化がひどくホテルとしての基本機能は無いに等しかった。ホットスプリングスの南方のハミルトン湖周辺には近代的なリゾート施設が多くあり、滞在はこちらがお薦め(写真-1)。
当地出身の有名人がいる。ビル・クリントン42代大統領だ。小学生から高校卒業まで育った家はバスハウス・ロウから車で5分のところにある(写真-7)。
少年期は決して恵まれた境遇ではなかったというがホットスプリングス高校を卒業後、三つの大学を経て32歳の若さで州知事、その後の大出世は記すまでもない。
小高い丘に建つその家の土地はパワースポットかと思えるほど強い気力に満ちていた。

ペピン



「大草原の小さな家」、ローラ・インガルスの生まれ故郷
ペピンはアメリカ中北部、ウィスコンシン州西部に位置し面積は645平方km(249平方マイル)、町の南端をミシシッピ川が流れる。ミズーリ州セントルイスから一路北に500マイル、真っ青な空に映える濃い緑のトウモロコシ畑。山はまったく見当たらない。その風景はイリノイ州、アイオワ州を過ぎウィスコンシン州に入ってもいっこうに変わらない。
アメリカ中北部の平野はほんとうに広い。そのトウモロコシ畑の真ん中にぺピンという小さな町はあった。
南北戦争さなかの1863年にイングランド移民のチャールズ・インガルスとその妻キャロラインは当地ぺピンの森のなかに小さな丸太小屋(写真-1)を建て、4年後にローラが生まれた。後にアメリカを代表する作家となるローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder)である。

西部開拓を夢見る両親と共にローラはアメリカ各地を転々とし、貧しさと数々の苦難の日々を過ごしながらもアメリカ大自然のなかでたくましく生きてゆく。
60歳を過ぎた晩年に娘の勧めで大自然の美しさや子供の頃の暮らしを綴った自伝記を書き始め、1932年に刊行された「大きな森の小さな家(Little house in the Big Woods)」が世界的なベストセラーとなる。その後、「大草原の小さな家(Little House on the Prairie)」をはじめ数々の名作を生みだした。
映画で見る西部開拓史はガンマンやカウボーイが頻繁に登場し実に男性的で勇ましい。しかし実際にはローラの家族のように素朴で堅実な開拓の歴史があったに違いない。僕たち夫婦はローラが暮らしたアメリカ中北部の田舎町を訪ね歩き、ローラの足跡を辿り、その生活をじかに感じてみたいと思った。ウォルナットグローブ、デ・スメットについては、それぞれの頁に記す。

ペトログリフ国立モニュメント



古代人アナサジのビジュアルメッセージ
ペトログリフ国立モニュメントはニューメキシコ州中央部に位置し、アルバカーキからリオグランデ川を挟み西に10マイルの距離、面積は29平方km(11平方マイル)。
当地には24,000点に上る世界最大数の先史時代のペトログリフと考古学上の重要な史跡、及び5箇所に渡る火山噴石孔があり、それらの文化、自然遺産を合わせて1990年に国立モニュメントに指定された。
ペトログリフとは岩石や洞窟内部に描かれた意匠や絵文字彫刻の総称。先住民アナサジが紀元前1200年から紀元1400年頃に遺したものと考えられている。この絵文字を順次見て回ったがテーマは擬人化した動物か、意味不明な幾何学的な図形が多い。二足歩行のカメのような生き物はいったい何を意味しているのだろうか。アナサジは狩猟採集と農耕の双方を営み暮らしてきたが、

いずれにしても感受性にすぐれた平和主義の部族であったのだろう。多くの絵文字をじかに見てあらためてそう思った。
アナサジは15世紀のある時期にアメリカからいっせいに姿を消した謎の古代人。プエブロの先祖(Ancient Pueblo People)だという説もあるが、正確にはわからない。現在、プエブロ族は19の種族、3万5千人がアメリカ政府により公認されていて、アコマ、ズニ、タオス、ホピなどアドビ(Adobe)煉瓦で造られた集落に住む。
ちなみに先史以来アメリカには900以上のインディアン部族が居住していたが、彼らは一様に自尊心が高く、
それぞれが固有の文化と言語を持ち、互いを相容れなかった。数千年に渡り、部族間抗争を繰り返してきたというが、もしアメリカのインディアン部族が16世紀の時点で統一されていたら、ヨーロッパ人によるアメリカ征服の歴史は変わっていただろう。

ブラックヒルズ国立森林公園

グレート・スー・ネイション、偉大なるスー族の聖地

ブラックヒルズはサウスダコタ州西部からワイオミング州北東部に跨る4850平方km(1875平方マイル)の広大な国立森林公園。最大標高はハーニー山の2206m。
明るい草色の丘陵地帯にポンデローサ松がくっきり黒く映える風景はまさにブラックヒルズと呼ぶにふさわしい。草原、美しい森と湖、バイソン、ビッグホーンシープなど多くの野生動物が棲む大自然の恵みに溢れた素晴らしい地域だ。
しかしブラックヒルズには複雑なアメリカの歴史がある。1800年以降、ヨーロッパからの入植者は西へ西へと領土を広げた。そのフロンティアの障害となったのは先住民だった。
アメリカ政府は指定地にインディアンを強制移住させる政策を推進した。Indian Reservationである。政府はブラックヒルズを居留地とし、1868年ララミー砦条約により、「白人の通過、居住を

許さない、Great Sioux Nation」と明文化した。
ハナシはこれで終わらない。条約締結僅か6年後の1874年、ブラックヒルズに莫大な金鉱脈が発見されアメリカ軍は当地に侵攻。この条約は一方的に破棄された。インディアン迫害史に残るブラックヒルズ戦争である。
この争いはその後も続き、百数十年を経た1980年、ついに最高裁法廷で決着。アメリカによる当地の没収は条約違反とする判決が下された。政府は賠償金として1億ドル余りを提示したが、スー族はこれを拒否、あくまでも聖地ブラックヒルズの自治権の復活を主張している。
実は当地の地下には5千トン、数千億ドル相当のウラン鉱石の埋蔵が判明していて、すでに大手資本により開発は始まっている。
経済的発展を願う人々、民族の伝統文化を尊ぶ人々。互いの価値観の溝はそう簡単には埋まらない。

ブラウンカウンティ



インディアナ、インディアンの土地という名の州
ブラウンカウンティ州立公園はアメリカ中西部インディアナ州中央部に位置し面積は64平方km(25平方マイル)、最大標高は322m。1929年にインディアナ州立公園に指定された。州都インディアナポリスから南に30マイルの距離。
Abe Martin Lodgeという公園内ロッジがあるが、僕たち夫婦は公園の北側にあるBrown County Innに宿泊した。木造のカントリー風でレストランの雰囲気もナチュラルで好みのスタイルだ。
ブラウンカウンティは厳寒の冬、蒸し暑い夏と四季のメリハリが明快。とりわけ秋の紅葉が素晴らしいという、日本に似た気候で丘陵と谷が連続する地形も日本によくある風景だ。
当地は1818年のセントマリー条約によりアメリカがインディアン、デラウェア族から取得した土地である。インディアナの語源は「インディアンの土地」で、その名の通りミシシッピ川流域

でのインディアンの歴史は古く、紀元前8000年頃に遡る。
アジアから氷河伝いにベーリング海峡を渡り北アメリカ大陸に到達したインディアンの祖先となるモンゴロイドは移動を繰り返す狩猟民族であり、そのため彼らはアメリカ各地に広がっていった。紀元前1000年頃からは農耕系インディアンが当地に定着した。小さな集落を形成し土器を作りトウモロコシを栽培するアデナ文化、ホープウェル文化である。
そして9世紀からミシシッピ文化が隆盛した。少数の権力者が多くの民を治める首長制国家でマウンド(Mound)と呼ばれるピラミッドに似た巨大構造物をミシシッピ流域に数多く建設した。しかし統率されたミシシッピ文化は16世紀に衰退した。
数多くのインディアン部族が対立し抗争を繰り返していた17世紀はアメリカの植民地化が始まったヨーロッパ人にとって都合のよい状況だった。


ビッグベンド国立公園



大迫力の砂漠と山岳。アメリカ最大の辺境の地
ビッグベンド国立公園はテキサスとメキシコとの州境を流れるリオグランデ川の北側、面積3242平方km(1251平方マイル)は東京都の1.5倍。最大標高はチソス山脈にあるエモリー岳で2387m。1944年に国立公園に指定された。
グアダルーペマウンテンをアメリカの大秘境と書いたが、こちらは更に奥地。テキサスのヒューストン、ダラスのどちらからでも直線距離で650マイル、車で延々片道11時間かかる。余程の動機が無ければ、誰もここまでは来ないだろう。事実、統計によると来園者の殆どがテキサス在住者なのだという。
しかし辿り着いた時のうれしさは格段。ヨセミテやイエローストーンと違って観光的なポイントがない分、余計に空漠とした風景に迫力を感じる。地平線まで続く平原と尖った山々の荒々しい風景はまさにアメリカ大自然と形容するにふさわしい。



ビッグベンドの殆どの面積をチワワ砂漠が占め、中央部にチソス山脈が走る。高温の砂漠から冷涼な山岳地帯と多様性に富んだ気候は多種の動植物を育み、生態系の宝庫となっている。また白亜紀、第三紀の生物の化石がひじょうに多く見られ、地質学上における重要な地域でもある。
当地の宿泊施設及びレストランはCisos Mountain Lodge1軒のみ。ただし公園から20マイルほど離れた田舎町、ターリングア(Tarlingua)、アルパイン(Alpain)にはモーテルがいくつかあり、その点では周辺に何も無いグアダルーペマウンテンの秘境感には及ばない。
この地域には、かつて古代狩猟民族チソス・インディアン、その後メスカレロ・アパッチ(Mescalero Apache)族、更に18世紀にはコマンチェ族が居住したが、ヨーロッパ入植者の移住が進んだ19世紀以降に衰退した。

ハドソンバレー



ニューヨーク郊外の田舎町
ハドソンバレーはマンハッタンから北に延びるハドソン川流域地帯。ウエストチェスター郡の面積は1295平方km(500平方マイル)。ハドソン川は五大湖のひとつであるエリー湖から運河でつながれ、南下して大西洋まで流れる。1609年、オランダの探検家ヘンリー・ハドソンが川の探索を行いこの名称となった。
1625年、オランダ人が入植、マンハッタン島はニューアムステルダムと名付けられた。当地はビーバーが多く棲む大自然に恵まれた湿地帯だったが、オランダ人は入植当時からこの地の将来性、世界一級の大都市に変貌する姿を見出していたという。
すぐれた貿易港の特質をもった地形、ハドソン川による交易、大型建築を可能にする硬い地盤の当地はやがてニューヨークと町の名を変え、1788年の合衆国憲法発令に伴いアメリカ最初の首都となった。


マンハッタンからハドソン川に沿って北上、タリ―タウンにあるキャッスルホテルに2泊した。この建物は1897年ヘンリー・キルバンにより城として設計され、1981年には歴史的建造物(National Historic Landmark)に指定されている(写真5-7)。
周辺にはしっとりとした森と渓谷、そして田園風景が広がる。当地にはロックフェラー、ルーズベルトなど富豪の邸宅も多くあり、とても風水がよいのだろう、凛と澄んだ空気感が心地よい。ロックフェラー旧所有地を活用したブルーヒル・ストーンバーンズは体験型教育農場。牛、豚、鶏が放し飼いにされ果物や野菜の農園もあり、これらは併設されるオーガニックレストランの食材となる(写真1-3)。もっとも予約がとりにくい店としても話題。
世界経済の中心地、マンハッタンからたった1時間。これほどゆたかな自然が残されているとは驚きだ。都会と自然のメリハリはアメリカ最大の魅力なのである。

バッドランズ国立公園



草原に現れる、幻想的な岩山風景
バッドランズ国立公園はサウスダコタ州南西部にあり面積は924平方km(357平方マイル)、最大標高は1018m、1978年に国立公園に指定された。アメリカ中北部特有の大平原地帯をのんびり走行していると、突如切り立った白褐色の風景が出現する。なだらかな緑の草原と寂寥とした岩山の対比は実にダイナミック。
バッドランズの地質はアメリカ大自然のなかでも比較的新しく、地殻変動で隆起したメサ(台地)が数十万年前に当地の方向に流れ込んだシャイアン川に削られ現在のような特異な風景が出来あがった。そして、この先数十万年で岩山はすべて浸食され、やがて平地になるという。
グランドキャニオンの最古の地層は20億年前なので、バッドランズの景観が生まれて消え去るまでの百万年は地球の歴史から考えるとほんの一瞬の儚い出来事だといえるかも知れない。

当地は元々インディアンの居住地だった。Cedar Passにあるピナクルと呼ばれる奇妙な形の岩山はケビン・コスナー監督・主演映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」の撮影が行われた場所。インディアン・スー族と白人の友情を描いた作品で1991年にアカデミー賞を受賞した。1889年にアメリカ政府により禁じられた「ゴースト・ダンス」は最近になって復活した。死者の魂を蘇らせるス―族独特の儀式である。
インディアンが崇める神聖な土地、そしてその地下に眠る金やウランの鉱脈。尖がった奇怪な山々。バッドランズは文句なしのパワースポットである。
僕たち夫婦はCedar PassにあるCedar Pass Lodgeに宿泊した。キャビンのテラスにはウッドチェアがあり眺望は抜群、ピナクルから吹く風がとても爽快だ。白木材をふんだんに使用した内装は簡素ながらも清潔感があり快適だった。