クレオール・ネイチャートレイル



ワニ横断注意の自然道
クレオール・ネイチャートレイルはルイジアナ州南西部にあり全長180マイル(288km)。このトレイルの起点となるレイクチャールズはアメリカ東西を結ぶインターステイツ10号線上にあり大自然というもののアクセスはよい。

ルイジアナ州道14号、82号、27号、384号がネイチャートレイルの対象となっているが1本の道に繋がっている訳ではなく、時々道に迷いそうになる。周辺は小川や湿原、湖が入り混じるウェットランドで自然感満載。巨大なアメリカアリゲーターをはじめ野生動物の宝庫となっている。

クレオール・ネイチャートレイルは2002年にオールアメリカンロードに指定された。1989年にシニックバイウェイ法が成立し、考古学、文化、歴史、自然、レクレーション、景観の6項目を審議し120の道路が「ナショナルシニック・バイウェイ」に、30か所

が最高峰の「オールアメリカンロード」に認定されている。

オールアメリカンロードのすべてを走ったわけではないが好きな道はと聞かれれば、まず「Florida Keys Overseas Highway」。マイアミから最南端キーウエストまで島伝いに海上を一直線に突っ走る、その爽快感は言葉には変えがたい。

次いで大河ミシシッピに沿って走る全長2069マイル(3329km)の「Great River Road」。ミシシッピ川は氷河湖イカタスを源流とし10州を南下してニューオーリンズ湾に注ぐ。三番目は「Route 66」。シカゴからサンタモニカを結ぶ全長2347マイル(3755km)の旧国道。古き良き時代を象徴する歴史街道だ。

こう考えてみるとアメリカの旅の魅力は「点」ではなく「線」、つまり道路を自分で走ってみないとわからないことが多い。もう一つは「面」。例えば国立公園など広大なエリアを巡りじっくり滞在することにも大きな価値を感じる。

グレート・リバーロード



アメリカ縦断、大河ミシシッピの旅
グレート・リバーロードは全長2069マイル(3329km)。蒸気船が往来した19世紀のミシシッピ河川交易を象徴する道路。

ルート66はアメリカを東西に繋ぐ歴史街道。ひきかえグレート・リバーロードは南北にアメリカを縦断する。僕たち夫婦は同じ年の夏と冬の2回に分けてこの道を走行した。もちろん夏に北部、冬に南部。縦の旅は日ごと気候が変化し植物相の移り変わりも大きくメリハリがある。

ミシシッピ川はミネソタ州北部にある氷河湖イタカスを源流とし、南下してウィスコンシン、アイオワ、イリノイ、ケンタッキー、テネシー、アーカンソー、ミズーリ、ミシシッピ、ルイジアナの10州を経てニューオーリンズ港があるメキシコ湾に注ぐ。

ミシシッピの語源は先住民オジブワ族の言葉で「大きな川」。アマゾン、ナイルと並ぶ世界三大河のひとつで総延長は3731マイル

(5971km)。直線に換算すると北海道から沖縄の倍の距離という途方もない長さなのである。流域には紀元前から多部族の先住民が住んだが、17世紀中ごろからフランス人による入植がはじまりフランス領となった。

1803年アメリカはミシシッピ以西のルイジアナをフランスから2500万ドルという世紀の大買収を敢行し、これによりミシシッピ川の東西流域はアメリカ支配下となった。蒸気船での航行は1811年から始まり、南北戦争が勃発した1860年代に最盛期を迎え、その後鉄道の登場に伴い急速に衰退する。

ウインスコンシン州ラクロス(La Crosse)は川に面した静かな町(写真-3)。河口から北に1500マイル(2400km)も遡った上流にありながら川幅は何と5千m。川岸からの眺めはまさに大海原。アメリカのスケールを見せつけられた思いである。

ガルベストン



栄光の海賊、ジャン・ラフィットを偲ぶ
ガルベストンはテキサス州南東部メキシコ湾岸にあり面積は540平方km(208平方マイル)。19世紀にはテキサスを代表する貿易港として栄えたが、1900年の巨大ハリケーンで町は壊滅、経済の中心はヒューストンに移った。

落ちぶれたとはいえ町のメイン通りには、今も往時の繁栄を物語る豪壮な住宅が残されている。ビクトリア様式のBishop’s Palaceは建築家ニコラス・J・クレイトンの代表作。権威あるアメリカ建築家協会(AIA)の「アメリカでもっと重要な建築100選」に指定されている(写真-1)。

ガルベストンにはもうひとつ見たい史跡があった。大海原を舞台に活躍した海賊、パイレーツ・ジャン・ラフィットの旧邸宅だ。波乱万丈に富んだその生涯は謎に満ちている。ラフィットは1782年、フランス・ボルドーに生まれ新大陸に移民。

米英戦争ではアメリカに協力、1千人以上の子分と共にイギリス軍と戦った。1812年に当地にラフィット王国をつくり、海を臨む邸宅の2階には大砲を備えメゾン・ルージュと名付けた。

その後テキサス独立戦争への協力を拒否、アメリカ商船への海賊攻撃を繰り返したため政府と対立。1821年にメゾン・ルージュを焼き払い当地を撤退した。1822年、キューバの Puerto Principeから脱獄し、翌年からカリブ海パイレーツとして暴れまわったといわれているが諸説あり不明。

メゾン・ルージュ史跡を見たくて、だいたいの目星を付けてあたりを歩き廻った。近所の人に聞いたがラフィットのことは知っていても跡地まではわからないようだ。やっと見つけたその場所は草木に埋もれた幽霊屋敷のようだった(写真4-6)。僅かに残された建物の基礎部分にはゾッとするような冷たい気が流れていた。手厚く保存されることを祈りたい。



スプリングフィールド



ランド・オブ・リンカーン
スプリングフィールドはイリノイ州のほぼ真ん中に位置し面積は156平方km(60平方マイル)、シカゴから南西に200マイル距離。町の中心地には旧議事堂があり、いかにも州都らしい威厳のある町の佇まい。
その北側にリンカーン図書館、南側には国立公園局が管理するLincoln Home National Historical Siteがある。リンカーンの家はGreek Revival様式で1839年建築。ほかにもリンカーンに因んだ施設がひしめき、当地はまさしくリンカーンの町である。
リンカーン(Abraham Lincoln)は弁護士、イリノイ州議員、上院議員時代の25年間を当地で過ごし1861年に第16代大統領に選出された。共和党始まって以来の大統領は南部諸州とことごとく対立し南北戦争が勃発。北部州連合軍を勝利に導きアメリカの南北分裂は回避されたが、終戦6日後の1865年4月15日、ワシントン



で観劇中に暗殺された。
リンカーンは奴隷開放を推進し、一方では先住民の殲滅政策をもっとも強硬に進めた大統領としても知られている。1862年のインディアン・スー族酋長等38人の一斉絞首刑はアメリカ死刑史に残る最高記録。
Lincoln Homeの西側にあるビール醸造所Obed & Isaac’s Microbreweryで食事をした。僕は食事に合わせるビールはアンバーエールが好み。やや赤みがかった琥珀色で程よい酸味があり、少し焦げたような香りが食欲をそそる。ピルスナーは下面発酵なので冷やして飲むとうまいが、エールは発酵温度の15度から20度くらいが適温。
いずれにしてもアメリカやヨーロッパには、その時の気分や好みに応じた嗜好のバリエーションが多くあり楽しみも増えるが、日本のビールは単調でまったくつまらない。



セントルイス



栄光と挫折が交錯する町

セントルイスはミズーリ州東部にあり面積は171平方km(66平方マイル)。北部の氷河湖を源とするミシシッピ川が蛇行して南下、流域に肥沃な土壌をもたらした。自然に恵まれた当地は9世紀ころから先住民によるミシシッピ文化の中心地として栄えた。
かつて当地にはマウンド(Mound)というピラミッドと日本の古墳の中間にあたる断面台形の巨大なインディアン遺跡が数多く見られ当地はマウンドシティとも呼ばれた。当地周辺に点在した数百に渡るその多くは都市開発により失われた。
17世紀にはフランス領ルイジアナの中心地として繁栄し、1811年に開発された蒸気船はアメリカ北部とニューオーリンズ、そしてヨーロッパを結ぶ当地の河川交易をますます活発にさせた。
鉄道の登場でミシシッピ水運は下火となるが、運よく1926年にシカゴとカリフォルニアを結ぶ産業道路ルート66が開通。


セントルイスは再び交通の要衝としてアメリカ産業経済で重要な地位を占めるようになる。
1904年に万国博覧会、そしてアメリカ初となるオリンピックも開催され、セントルイスは光り輝く黄金期を迎えた。当地を象徴するゲートウェイ・アーチはフィンランドの建築家、エーロ・サーリネンの設計。ミシシッピ河畔に建つ高さ192m、幅192mの半円形はセントルイスで最も高い建築物だ。
皮肉なことにこのアーチが完成した1965年頃からセントルイスの大凋落がはじまった。その後の町の空洞化はおびただしく、犯罪発生率が急増。中心部の人口は半分になってしまい、今やアメリカでもっとも危険な都市となった。
19世紀はミシシッピの水運、20世紀はルート66の陸運に恵まれた栄光のセントルイス。21世紀の100年間、この地はどんな町に変わってゆくのだろうか。

ハンニバル



「トム・ソーヤの冒険」の作者マーク・トウェインの故郷

ハンニバルはミズーリ州北東部に位置し、面積は42平方km(16平方マイル)。
アメリカを南北に縦断するミシシッピ川に面した当地はかつてニューオーリンズやセントルイスとの海上交易で賑わった。
その繁栄の時代にこの地で少年時代を過ごしたマーク・トウェイン。彼はハンニバルを舞台に町で出会った人々やさまざまな出来事を「トム・ソーヤの冒険」、「ハックルベリー・フィンの冒険」をはじめとした数々の冒険小説のなかに生き生きと描いた。
「ベッキー・サッチャーの家」は「トム・ソーヤの冒険」の主人公ベッキーの住居で彼女はマーク・トウェイン初恋の人(写真-6)。Mark Twain’s Boyhood Homeにはトムがポリーおばさんに叱られてペンキ塗りをさせられた板塀が今もある(写真-4)。
町なかはどこに行ってもマーク・トウェイン一色、蒸気船が往来



する19世紀末のミシシッピ河畔の美しい小さな商業港の雰囲気が今も残されている。船運の衰退がその後の町の開発をピッタリ止めてしまったことがかえって幸いしたのだ。
マーク・トウェインは19世紀末から20世紀初頭における最高ランクの文筆家と評され、フィクション、ノンフィクションから歴史小説、紀行文学、文芸評論までこなした。1835年にミズーリ州に生まれ、1910年に死去。文豪アーネスト・ヘミングウェイは、「あらゆるアメリカ現代文学はマーク・トウェインのハックルベリー・フィンに由来する」と賛辞を送った。
町中にあるトスカーナ料理店The Brick Ovenには二度訪ねたニューヨークのミートパッキング界隈にありそうな店構えで、僕の好きなタイプの店(写真-2)。ワインのセレクションも洗練されている。こんな片田舎で、と最初は驚いたが、考えてみれば当地は古くから栄えた町。悠久の時の重みは食文化にも及ぶ。

ダイアースビル



映画「フィールド・オブ・ドリームス」撮影地

ダイアースビルはアイオワ州北東部にあり面積は14.6平方km(5.6平方マイル)。アイダホといえばポテト、アイオワはコーン。見渡す限りのトウモロコシ畑。その景色は海原に似て、風になびく繁った葉は押し寄せる波のようで生命力に溢れる。
そのトウモロコシ畑を抜け出たところに小さな野球場はあった。「フィールド・オブ・ドリームス」はW.P.キンセラの小説「シューレス・ジョー」の映画化。
レイ・キンセラはトウモロコシ畑で不思議な声を聞く。そのインスピレーションをきっかけに畑を切り拓き、野球場をつくったことからファンタジーがはじまる。ケビン・コスナー主演、1989年公開でアカデミー作品賞を受賞した。撮影場所は元通りの畑となったが、映画を懐かしむ人の声が集まり再び野球場に戻されたという。



明るいグラウンドは弾けるようなエネルギーに満ちていた。パワースポットに近い高揚感。広大な畑の真ん中なのでそんなはずはないと思うが元々特別な土地だったのかも知れない。あるいは映画撮影という創造を通じて土地の気力が高まったのか。いずれにしてもカラダがスッと軽くなるような気持ちよい空気感に包まれたフィールドだった。
ちなみにアメリカのトウモロコシ生産量は世界トップ、その最大生産地がアイオワ州。そして莫大な量のトウモロコシの30%が再生可能エネルギー、バイオマス・エタノールに変わる。
ガソリンにエタノールを混合するのはアメリカでは常識。「E10」というのはエタノール10%で、これが標準。「E85」もある。アメリカ最高峰のモーターレース、インディで使用される燃料は2010年から「E100」、つまりエタノール100%と規定されている。

ロッキーマウンテン国立公園



アメリカ大陸を縦に貫くロッキー山脈の頂点
ロッキーマウンテン国立公園はコロラド州北部に位置し面積は1076平方km(415平方マイル)、最大標高はロングスピークで4345m。1915年に国立公園に指定された。デンバーから北西60マイルにゲートシティのエステスパークがある。
ロッキー山脈は3000m級の山々が5000kmに渡り南北に連なり、北からグレーシャー、イエローストーン、グランドティトンと続き、ロッキーマウンテン国立公園でロッキー山脈は最高頂点となる。当公園は標高差により著しく生態系が異なる。
下から順に山麓地帯(Montane Zone)、森林地帯(Subalpain Zone)、高山地帯(Alpain Zone)と三つのライフゾーンに分類され、標高3500mまでの森林地帯にはクロクマ、コヨーテなど多くの野生動物が棲み、4000m以上の高山地帯になると樹木はまったく見当たらないツンドラ気候となる。


エステスパークから公園に向かう途上、道路上を悠然と歩く2頭のムース(Moose)と遭遇。ともかくその大きさに驚嘆。とても鹿の仲間とは思えない。
ムースはインディアンの言葉で、英語ではAlces alces。日本ではヘラジカと訳されている。ムースの最大体長は3m。肩高2.3mで巨大な角まで入れると体高は優に3mを超える。
ムースはアメリカ国立公園における野生動物ウォッチングでは灰色熊グリズリー(Grizzly Beer)、バイソン(Bison)と並ぶ、人気ビッグスリーのひとつ。僕は、グリズリーはグレーシャーで、バイソンはイエローストーンでウォッチングを達成した。
ちなみに最大体重ではバイソンが1100kg、ムースが800kg、グリズリーは500kgと、どれもが途方もなく大きい。
ムースはアメリカを代表するカジュアルウェアAbercrombie & Fitchのシンボルマークにもなっている。

レイクパウエル



映画「猿の惑星」の撮影地
レイクパウエルはユタ州キャニオンランズ国立公園から、アリゾナ州グランドキャニオン国立公園に連なる大峡谷とコロラド川が一体となって堰き止められた中間地点にある。
最大標高は1140m。地図上ではコロラドの川幅が突然広くなった地域に見えるが、実際の感覚では琵琶湖に匹敵する巨大な湖だ。全長は300Km、湖の周囲3000km。レイクパウエルの名称は、1869年にコロラド川流域を調査したJohn Wesley Powellから付けられた。
ゲートシティはページ。1957年のグレンキャニオンダムとグレンキャニオン橋の建設に伴いできた町である。僕たち夫婦は湖に面したワーウィーブ・ロッジ(Wahweap Lodge)に宿泊したが設備、ロケーションともに中々快適。ロッジと一体となったマリーナから出るクルーズで湖を周遊したが、コロラド川を下ってきた

ロッキー山脈の雪解け水は冷たく清廉、空気は澄み、朝夕には赤茶から紫、ブルーに変幻するロックマウンテンの風景も素晴らしい。一帯はレインボーブリッジ国立モニュメント、アンテロープキャニオンと合わせてグレンキャニオン国立レクレーションエリアに指定されている。
レインボーブリッジの周辺は先住民ナバホ族の居留地(Indian Reservations)である。ワーウィーブ・マリーナ(Wahweap Marina)から片道2時間、湖を横断して近くまで行き、1マイルほどのトレイルを歩いて到着。アーチ状の岩石はユタ州には数千以上あるが、レインボーブリッジは高さ87mで世界最大。古来より先住民の宗教信仰の聖地として崇められてきたパワースポットの地であり、興味本位の撮影や観光気分でがやがやとはしゃぐことは慎まなければならない。これは日本の寺社、仏閣などでも同じこと。レインボーブリッジをくぐることは禁止されている。

ルート66




現代に生きる歴史街道
ルート66は1926年に建設されたシカゴとサンタモニカを結ぶ全長2347マイル(3755km)の旧国道。1985年に廃線となり、National Scenic Bywayに指定された。
初期には産業道路として大型トラックの物流を担い、1930年代にはカンザス、オクラホマからカリフォルニアへ向かう移住者で溢れ返った。
ジョン・スタインベックは「怒りの葡萄」で、土地を求めルート66を西へ西へと進む貧しい農民の姿を描き1940年にピューリッツアを受賞、この小説はルート66をますます有名にした。
ルート66は1938年にアメリカで初めての舗装道路となった。アリゾナの国立公園やカリフォルニアへのレジャーに活用されるようになったのは乗用車が普及し出した1950年代以降である。
ふたりの若者が車で大平原を旅する連続テレビドラマ「ルート


66」は大ヒットを記録した。いつしかシボレーコルベットとGMキャディラックはルート66のイメージと重なり合い、アメリカ人の上昇意欲を刺激した。
1960年代に青春時代を過ごしたアメリカ人なら誰しも引退後にはコルベットかキャディラックでルート66を優雅に旅したいと願うという。
事実ルート66を走ってみると出会うのは殆どが中高年夫婦である。沿道の寂れた景色や旧式のガソリンスタンドが懐かしくかえってよい。人生それぞれにドラマがある。ルート66は古き良き時代を思い起こさせる道路なのである。
バクダットカフェ(写真-10)は映画「バクダットカフェ」の舞台となったところ。1989年公開、監督はパーシー・アドロン。海外からの旅行者夫婦がうらぶれたカフェに集う人々と繰り広げる不思議な人生ドラマ。ルート66にはドラマが付きものなのである。