キャッツキル



森と渓谷のニューヨークリゾート
キャッツキルはアメリカ北東部、ニューヨーク州南部にありステートパークの面積は2800平方km(1081平方マイル)、最高標高はスライド山の1274m。マンハッタンから北に90マイル、東京に例えるなら高尾山の感覚。大都会から2時間ほどの距離だが緑は深く、標高差の違いもあり真夏でも夜になると肌寒かった。
ニューヨーク州はエリー族、デラウェア族など多くの狩猟系インディアンが住む土地だった。16世紀以降、農耕系のイロコイ族やタスカローラ族がノースカロライナ州から流れ込み、これにニューヨーク州の領土化を狙うヨーロッパ勢が加わり土地の所有権をめぐる争いが頻発した。
インディアンは言語も文化もそれぞれに異なり民族ごとのアイデンティティと自尊心もひじょうに高く、彼らには結束して白人に立ち向かうという発想はなく、入植者による侵略が繰り広げられ

るさなかに先住民族それぞれが個々に戦うという状況だった。
キャッツキル山地の先住民はモヒカン族である。髪の真ん中を残して両サイドを剃り上げるヘアスタイルで知られるが、彼らは17世紀に衰退した。オランダのニューヨーク侵攻のころと重なるがモホーク族との戦いで敗退したのが真相である。
ロバート・B・パーカー(Robert Brown Parker)の推理小説「キャッツキルの鷲(A Catskill Eagle)」は当地が舞台だった。1973年の「ゴッドウルフの行方(The Godwulf Manuscript)」から数えてスペンサーシリーズの第7作目。60冊以上出版されているパーカー作品はずいぶん前にすべて読んだが、アメリカ旅行をする時には1冊を持ち歩いて読み直している。
主人公の恋人役スーザンといういけすかない女がこねる理屈に時にはイラっとするが、ストーリー展開と作者独自の美意識が相俟って全体的にはたいへん面白い。


アケーディア国立公園




オマールエビ、アメリカンロブスターの大産地
アケーディア国立公園はニューイングランド地方アメリカ北東部6州のなかでは唯一の国立公園。マウントデザート島を中心に南西の小島アイル・オ・オ、ベイカーアイランド及び本土スクーディック半島の一部が対象で面積は198平方km(76平方マイル)、1919年に国立公園に指定された。
急傾斜の海岸線と点在する小さな島々の風景は瀬戸内海の眺めに似ていて、日本人的な感覚で正直にいえば普通。急傾斜の岩場も、海から一気に800mも駆け上る小豆島の寒霞渓の絶景には到底及ばない。しかし大地の基盤が花崗岩であるという点では小豆島と同じ。
メイン州沿岸にあるマチャイアスシール島と周辺海域の領有権でカナダとアメリカは紛争中だという。国土面積世界2位と3位の大国がこんな小島にこだわるのかと不思議に思うが縄張りの問題は

いつの時代も厄介なのだ。
公園内にはロッジはなく島の北東部にある海岸沿いのBar Harbor Innに宿泊した。外観は素朴な造りに見えるが実は歴史あるホテルで19世紀末から20世紀前半におけるニューイングランド地方の社交の場として栄えたという。テラスから大西洋が望める部屋はとても雰囲気がよい。
やや気取り過ぎにも思えるダイニングの主役は当然の如くロブスター。アメリカ人はロブスターを有難がるが、僕はそれほどでもない。メイン州滞在中はどこへ行っても毎日ロブスターを食べたが味付けがワンパターンなので3日目で完全に飽きる。
日本の伊勢海老は刺身、蒸し、焼きから始まり唐揚げ、揚げ出し、鬼殻、具足煮、真丈、味噌汁などなどバラエティが豊富。ベイシックを尊ぶ気風は素晴らしいがロブスターにはもうちょっと変化が欲しい。

ラファイエット



南部美食文化の町
ラファイエットはルイジアナ州南部にあり面積は127平方km(49平方マイル)、標高は11m。アカディアナ文化が色濃く残る美しい町、美食の町としても知られていて僕たちはブルードッグカフェで食事をした(写真-5)。世界的に有名なアーティスト、ジョージ・ロドリゲの作品が100点以上も展示されていて圧巻。ケイジャン料理のレベルも高くて満足だった。

ロドリゲは1944年、当地近くのニューアイベリア生まれ、2013年没。終生「青い犬」を描き続けた。

ロドリゲの生地ニューアイベリア郊外にタバスコの製造工場がある。1868年に当地に移住してきた美食家Edmund Mcilhennyがタバスコペッパーの栽培を開始、ユニークな食品を考案し製法特許を取得、現在のマキレニー社 (Mc. ILHENNY CO.)に至る。

蒸留酢と当地原産の岩塩を混ぜ樫の樽で3年間熟成させるという

アメリカでは珍しい発酵食品なのだ。

世界170か国に輸出されるほど有名になったタバスコ。個性的な風味はもちろんだが象徴的な瓶がこのブランドの発展に大いに貢献している。容器は発足当初から受け継がれているというから創始者マキレニーの感性は相当なものだ。煉瓦造りの本社建物は風格があって美しい(写真3-4)。

このマキレニー社はバイユーと呼ばれるワニが生息する湿原の真ん中にあってナビがなければ到底辿りつけない。それでも工場が近づくにつれタバスコ独特の香りが目と鼻を刺激する。

まず製造工程を見学しタバスコストアへ向かった。定番の赤いタバスコだけでなくハバロネ、更にはハラペーニョを使った緑色のタバスコなど種類も多い。瓶のサイズもバリエーション豊かで巨大なガロン瓶のタバスコには驚いた。1ガロンは3.8L、日本酒の一升瓶の2倍以上のボリュームで価格は40ドル。

マッキニー



過去と未来が共存する町
マッキニーはテキサス州北部に位置し、面積は152平方km(63平方マイル)。1836年にテキサス共和国として独立国家となった当地は1845年にアメリカに併合、1849年にマッキニーの町が創設された。当地の名称はテキサス独立宣言を起草したコリン・マッキニーに因み命名された。

アメリカ4大メディアのひとつであるCNNマネー誌(CNN Money Magazine)では毎年アメリカで「もっとも住みやすい町(Best Place to Live in America)」を発表している。マッキニーは2010年に5位、2012年に2位そして2014年にはついに1位となった。アメリカには2万の自治体(市町村)があり、そのトップなので価値はひじょうに高い。

1849年にたった35人でスタートした町は約100年を経た1952年に人口1万人を超過、2014年には14万人に達した。

アメリカのすべての町のなかで人口急増率ベスト5にランクされたこともあるという驚異的な成長を続ける町なのである。

優れた安全性、社会保険制度、税制、教育環境は当然のこと、マッキニーには風力や太陽光を使ったグリーンエネルギーの開発、雨水の再利用、廃油暖房など持続可能な社会を実現するためのシステムがあり、行政当局による先進的な町づくりが当地の価値を高めていることは間違いない。

一方、旧市街では古い建物はひじょうにたいせつに保護され修復して再利用されている。両極のバランスが素晴らしい。僕たちは旧裁判所周辺の歴史的な町並みをゆっくりと散策した。アンティークストアやレストランが立ち並ぶ景観はとりわけ19世紀末の古き良き時代のテキサスを彷彿とさせ、とても魅力的だ。

未来と過去が仲良く共存する町。こういう町は住んでいて気持ちよいだろうと思う。

ポートイザベル



幻のネコ、野生オセロットの棲家
ポートイザベルはメキシコと国境を接するテキサス州最南端の小さな港町。面積は8平方km(3平方マイル)。当地はメキシコ革命後にアメリカ領となり18世紀から19世紀にかけて綿花積み出し港として活況を呈した。

メキシコ湾を望み、きりっと立つ灯台に僅かに往時の繁栄が偲ばれる(写真-1)。イザベル灯台は1852年創設、南北戦争後の修復を経て長らく稼働したが1905年に消灯。1976年にテキサス州歴史遺跡に指定された。

ポートイザベルはパドレ島のゲートシティでもある。海岸線と並行して南北数百マイル、幅がたった2マイルという驚異的に細長い島で、その南端のサウスパドレアイランドはテキサス州を代表するビーチリゾート、別荘地として知られている。僕たち夫婦は当地に4泊滞在したが、延々と続くビーチはたしかに
素晴らしい


が、施設やレストランは垢抜けしない、というのが感想。

ポートイザベルの北側がラグナ・アタスコサ野生動物保護区となっていて毎年11月には25万羽もの水鳥が訪れる。特記すべきは当地海岸沿いに棲む幻の野生ネコ「オセロット」(Ocelot、学名Leopardus Pardalis)の存在。抜群のスタイルとゴージャスな毛並みを持つオセロットの美しさはアメリカではネコ科最高と称賛されている。ぱっちりとした丸く大きな目。梅花紋といわれる野生的な黒い斑点。負けん気の強そうなオセロットの可愛さはネコ好きにはたまらない。

優美な毛皮が高額で取引され個体数が激減、現在は絶滅危惧種に指定されている。当地で12匹が確認されていて、アメリカ全体の推定個体数は50匹。人になつきやすことでも知られていて野生以外に数十匹の飼育オセロットがいるという。僕は残念なことに遭遇未体験、映像でしか見たことがない。

フォートワース



カウボーイ発祥の地
フォートワースはテキサス州の北東部にあり、面積は774平方km(299平方マイル)、標高237m。19世紀、カウボーイの町として知られた当地には各地から牛が集まり取引された。当時の面影を残すストックヤード国立歴史地区はダウンタウンから5マイルほど北にある。

ストックヤードの家畜取引は1876年の鉄道開通をきっかけに大発展。しかし20世紀に入り自動車の出現に伴いアメリカの物流政策は転換し当地は衰退する。鉄道登場から100年後の1976年に当地の由緒ある建物が復元され国立歴史地区に制定された。

当地区の最大の見ものはテキサス人が誇るロングホーンの行進、キャトルドライブだ(写真-4)。乗馬したカウボーイたちが数千頭のロングホーンを伴い東に向かう旅を昔はCattle Driveと呼んだ。ロングホーンは長旅に耐える強靭な体力を持つ牛なのだ。

テキサス出身のプロレスラー、スタン・ハンセンが右手で角の形にする決めポーズもロングホーン。Stockyards Station、Cowtown Coliseum、Texas Cowboy Hall of Fameなど歴史的な建物も多くある。19世紀の町並みの中、直感頼りでステーキハウスに入った。店名はキャトルメンズ(Cattle Men’s、写真-1)。選んだのは定番のポーターハウスではなくニューヨークストリップ。もちろん数週間寝かせたドライエイジド・ビーフだ。

結果は大当たり、炭火で表面だけを焦がすように焼く香ばしいアメリカにはよくあるタイプのステーキだが肉質が抜群。元々アメリカのステーキレベルはひじょうに高い。

ニューヨークのピータールーガー(Peter Luger)、ちょっと落ちてウルフガング(Wolfgang’s)、ベンジャミン(Benjamin)あたりが最高ランクと思っていたが、さすがにCowtownフォートワース、本場の味と雰囲気に満足した。

ヒルカントリー



野草の楽園、テキサス最高のワイナリー
ヒルカントリーはテキサス中央部に広がる美しい丘陵地帯。春にはブルーボネットが咲き乱れ、秋には葡萄がたわわに実る。

北アメリカ大陸の中央部を細長く縦断するグレートプレーンズの南端部にあたり面積は36300平方km(14000平方マイル)、最大標高は750m。グレートプレーンズはロッキー山脈から流れる河川により形成された堆積平野地帯で砂質及び石灰質土壌は大草原の自然景観をつくる。


テキサスの抜けの良い風景と真っすぐの道路を走る爽快感は格別。とにかく広い。テキサスの1州だけで日本全土とほぼ同じ面積がある。事実アメリカに併合される前はテキサス共和国として独立国だった。町の各所で見られる旗は星条旗ではなくLone Starと呼ばれる星がひとつのテキサス州旗。他の州とは一味違った独自の文化性とプライドを感じさせる土地柄である。

ヒルカントリーの中心地がフレデリックスバーグ。その名からも窺える通りドイツ人入植者により19世紀半ばに創設された、まさにドイツ的な町である。フレデリックス(フリードリヒ大王)は18世紀のプロイセンの専制君主。

町なかのレストランにもドイツの伝統が感じられる。ビール醸造所とパブが一体化したビアレストランが多くあり楽しい。ビールでソーセージと子牛のカツレツを食べるのが定番。メインストリートにあるSilver Creekには2度、Crossroad Salon & Steak Houseにも行ったが、どちらのレベルもひじょうに高かった。

当地にはワイン醸造所も多くあり、ちなみにテキサスはカリフォルニア、オレゴン、ワシントン、ニューヨークに次ぐ5番手のワイン生産州でもある。いくつかのワイナリーを巡ったが、Becker Vineyardsは当地では一級品のようだ。

バトンルージュ



19世紀の南部繁栄を物語るプランテーション
バトンルージュはルイジアナ州の南東部にあり面積は205平方km(79平方マイル)、標高21m。1699年、インディアンが住む当地にフランス人が入植し町の開発が始まった。バトンルージュはフランス語で「赤い杖」の意味。

1803年アメリカはバトンルージュを含むルイジアナ全域をフランスから1500万ドルで買収した。当時のフランス領ルイジアナとは現在のアメリカの真ん中を縦断するミシシッピ川流域の15州。フランス皇帝ナポレオンは売却益をイギリスとの戦費にあてた。アメリカ領となったバトンルージュは1849年にルイジアナ州の州都となり町の発展がはじまった。

19世紀に建造されたゴシック・リバイバル様式の旧州会議事堂(写真-5)の1マイル北側に1932年に建設された高層の州会議事堂がそびえたつ(写真-4)。

当地の南50マイルにあるオークアレイ・プランテーションを訪ねた。かつて栄えた大農園の邸宅跡だ。オークアレイとはフランス語で「樫の小路」の意味。何といっても樹齢300年以上という樫の大樹が見事だ(写真-1)。

煉瓦と漆喰によるこのグリーク・リバイバル様式の邸宅は「砂糖王」と呼ばれたサトウキビ農園主バルカー・エメが1837年に建てた。設計はジョセフ・ピリ。所有者は時代ごとに変わり1925年には建築家リチャード・コッホにより大規模な修復が行われた。

最後の所有者ジョセフィン・スチュワートが土地と邸宅を寄付しオークアレイ財団となり、現在はアメリカ歴史的建造物(National Historic Landmark)に指定されている。

いくつかのプランテーションを見学したが、一様に19世紀の南部貴族の驕りと奴隷史を物語る重々しい空気感が漂っていた。栄華を極めた大農園主は南北戦争を境に没落した。

パドレアイランド国立海浜公園



海岸草原、コースタル・プレーリー
パドレアイランド国立海浜公園はテキサス州南部にあり、面積は528平方km(203平方マイル)。パドレ島はテキサス海岸線に並行する幅2マイル、長さ数百マイルに及ぶ細長い島。

コーパスクリスティから町の東端に架かる3マイルの橋を渡れば、あっけないほどかんたんにパドレ島に到着。この島は陸と海の境界がきわめて曖昧。これはコースタル・プレーリー(海岸草原、Coastal Prairie)と呼ばれ、まさに草むらと海が混ぜ合わさったような不思議な風景だ。

メキシコ湾岸では陸地と水域の中間にあたる湿原や沼沢地、干潟が豊富でこれらを総称してウェットランドと呼んでいる。水鳥の生息地になるだけではなく、ウェットランドは地球規模で水系を調節する働き、つまり河川の氾濫や高波、津波などの自然災害を最小限に食いとめる役割も担っているのだそうだ。


当地はウミガメの産卵地としても知られ、加えて280種の渡り鳥が世界各国から飛来するという、アメリカでも有数の海浜保護区となっている。

フロリダからメキシコ湾岸地域には稀に巨大なハリケーンが襲来する。1554年、スペイン艦隊サンエステバンはパドレ島海域で暴風雨に遭い難破。巨額の金銀財宝が海中に沈み300人が死亡するという歴史上の海難事故が起きた。

スペインといえば、当時の覇者。1521年にアステカ文明、その後マヤ文明を滅ぼし、1532年にはインカを全滅させた。南北アメリカを制圧、東南アジアを含む世界制覇に邁進中のスペイン黄金の世紀(Siglo de Oro)と呼ばれた絶頂期の出来事だった。

それから410年を経た1964年にサンエステバンは当地沖合で発見された。年月をかけ修復を終えた難破船は現在コーパスクリスティ科学歴史博物館に展示されている。


ナチェズ



南部の歴史街道、ナチェズ・トレース・パークウェイ
ナチェズはミシシッピ州南西部、ミシシッピ川流域にあり面積は36平方km(14平方マイル)、標高は66m。町の名前は紀元前から当地に居住していたナチェズ族に由来する。古代ミシシッピ文化圏の一角を成したインディアン部族である。

1716年にフランス人が入植、1729年に土地の支配権を巡る紛争がやがて戦争に発展。ナチェズ族が敗北し、1731年にフランスが当地を掌握した。

ミシシッピの州都となったナチェズはアフリカ人奴隷を導入、大農園経営で繁栄した。綿花は当地から積み出され、ニューオーリンズを経てヨーロッパに運搬された。しかし1822年に州都がジャクソンに移りナチェズは徐々に衰退する。ミシシッピ河川交易の衰退、鉄道の出現に加えて、317人の死者を出した1840年のグレート・ナチェズ竜巻も大きな痛手となった。

ナチェズ・トレース・パークウェイ(Natchez Trace Parkway)は南北戦争以前の南部の面影を残す全長444マイル(710km)に渡る歴史街道(写真2-5)。当地を起点としてアラバマ州を経てテネシー州ナッシュビルまで続き、沿道には18世紀の古びた建物や綿花畑が残っている。

ナチェズからパークウェイを北に向かった。前夜とは打って変わり森を抜ける道は嘘のように静かで穏やかだった。前夜とは竜巻事件のこと。ミシシッピ川流域を走行中に突然車のナビと携帯電話がピーピーと鳴り出した。今までに聞いたことがない警告音だ。そのうち空が真っ暗闇になり、脈絡なしの猛烈な暴風雨。近くで竜巻に吹っ飛ばされた車もあって、悲しいことに死者も出たという。本当に恐ろしい体験となった。

旅の知識はあると思っていても不意の出来事への対応は中々難しい。自然現象を甘く見てはいけないということを痛感した。