ラッセン・ボルカニック国立公園



世界最大の溶岩ドーム
ラッセン・ボルカニック(ラッセン火山)国立公園はカリフォルニア州中北部に位置し面積は429平方km(166平方マイル)。1914年に国立公園に指定された。サンフランシスコから北に240マイル、車で4時間ほどの距離。マウントラッセンの標高は3187m。カナダからカリフォルニアに連なるカスケード山脈の南方に位置する。カスケード山脈はアメリカ最大の火山帯でもある。
アメリカの大噴火はすべてこの火山帯から起きている。当地から北にあるオレゴンのセントへレンズ山は1980年の大噴火で山頂部分の500mが吹っ飛び、面積518平方kmの森林が消失し、200マイルに渡る高速道路が破壊された。富士山とそっくりだったセントへレンズ山は爆発で真ん中がえぐり取られ阿蘇山に似たカルデラ山に変化した。噴火は脅威だ。



ラッセン最期の巨大噴火は1630年から1670年の間だったと考えられている。現在、ラッセンの温泉は沸騰し激しく蒸気が噴出している。300年以上を経た現在、地下の噴火エネルギーは最大限まで高まっておりアメリカ地質研究所と国立公園局は当公園内の9か所に地震計を設置し常時火山性ガスと地殻変動の測定を行う最大の危機管理体制に入っているという。
カリフォルニアと日本は面積も近いが火山と地震災害という点でも似通っている。カリフォルニアにはサンアンドレアスという南北に走る断層があり度々巨大な地盤変化を起こしてきた。1906年のサンフランシスコ大地震では3千人が死亡し22万5千人が家を失った。地震も火山噴火も一定周期をおいて繰り返す。サンフランシスコ周辺の地殻の歪みは限界に近く、20年以内に巨大地震が発生する可能性は80%だと考えられている。

ロスオリボス



ワインとオリーブが育つ町
ロスオリボスはカリフォルニア州南部にあり面積6.4平方km(2.5平方マイル)、標高80m、人口は1200人。ロスアンジェルスから北に100マイルの海岸沿いの町、サンタバーバラからだと州道154号で内陸に30マイルの距離。地名のロスオリボスはスペイン語でザ・オリーブの意味だという。
オリーブの樹々が青々と繁る。季節の花が咲き乱れ、地元産のワインが飲めるカジュアルで素朴なレストランがある。道を見渡すテラス席に地元の人々が集う。静かな町なのに土地や建物がオーラでキラキラしていて活力に漲っている。交通の便はいまひとつ。だから観光客は少ない。これが、僕が好きなアメリカ田舎町の理想像だ。
ロスオリボスはほぼ満点に近い。ただ、例えば田舎町ではサンタフェやタオス、大自然ではグレーシャ、マウントレーニアなどア


メリカには桁外れに景色がよくパワー溢れる土地があるので、ここは冷静に、星は三つくらいにしておこうと思う。
ロスオリボスはブドウの町でもある。当地を含む広いエリアがサンタバーバラ・ワインカントリーとなっておりサンタイネス・バレー、サンタマリア・バレー、ステリタヒルズ、バラードキャニオン、ハッピーキャニオンの五つAVA(American Viticultural Area)のワイン栽培地域に分類されている。
そのエリアの中でもとりわけ著名なAVAがロスオリボスの属するサンタイネス・バレーで、70のワイナリーが集中している。当地は夜になると太平洋から冷たい霧が流れ込み良質のシャルドネ種、ピノノワール種がすくすくと育つという。ロスオリボスの町中にあるテイスティングルームを巡ったが見たことのないラベルだらけ。ワインというのは世界各国、各地に本当に多くの銘柄があっていつも感心する。

マウントシャスタ



気力漲る本物のパワースポット

マウントシャスタはカリフォルニア州中北部シャスタトリニティ森林公園(Shasta Trinity National Forest)の北側に聳える4312mの高峰。面積8946平方km(3457平方マイル)に渡る広大な森林公園には多くの河川や湖が点在する。
当地には今から1万年前頃からインディアンが住みマウントシャスタは古来より霊峰として信仰されてきた。19世紀にはシャスタ族、ニューリバーシャスタ族はじめ4部族が居住し人口は6000人前後だったという。しかし1848年にカリフォルニアの金脈発見が契機となりゴールドラッシュが到来。カリフォルニアを目指す数万人のヨーロッパ人大移動はインディアンの領土をも脅かし、争いに敗れたインディアンは衰退した。
シャスタが先史時代から信仰の土地であったことを入植者が知ることはなかった。しかし19世紀末以降シャスタにまつわる伝説が


明らかになり、また地場エネルギーの研究など土地の力の存在が徐々に知られるようになってきた。これには自然主義者で地質学者でもあったジョン・ミューアの影響力も大きい。ミューアは人間と大自然との共生、土地固有の信仰の尊重を訴えた。
パワースポットといわれる土地には大地震や噴火がつきものだ。マウントシャスタはきわめて危険な火山のひとつで、ひとたび爆発が起きれば1980年のセントへレンズ大噴火を凌ぐ脅威になるといわれている。マウントシャスタの一番最近の大噴火が1786年。爆発周期が600年に一度と予測して、今世紀はひとまず大丈夫ではないだろうか。
僕たち夫婦はSiskiyou 湖畔のMount Shasta Resortに滞在した。キッチン、リビングルームを併設した広いスペースの木造ビラだ。澄み渡る空気で気分は爽快。僅かながら土地のパワーも体感できた数日間だった。

レッドウッド国立公園



伝説の巨人ビッグフットが棲む巨木の森
レッドウッド国立公園はカリフォルニア州北部海岸沿いにあり面積は315平方km(122平方マイル)、アメリカスギの一種でレッドウッドと呼ばれる巨木が茂る樹林一帯が保護されている。1968年に国立公園に指定、1980年にユネスコの世界遺産となリ正式名称はRedwood National and State Parksに変更された。
当地には樹高115mという途方もない大きさのレッドウッドがあり、この木が地球上の最大生物といわれている。1966年に屋久島で発見された縄文杉の樹高は30mで10階建てのビルに相当する。その高さの4倍もあるので桁違いといえる。
アメリカ西海岸の森林ではとんでもない大きさの木に出会う。何故これほど巨大に育つのか。土地のパワーとの関連性を考えてみたくなるが、温暖な気候や降雨量の豊富さなどもっともらしい説明もその場所に居合わせた実感としては釈然としない。


この巨木の森にはビッグフット伝説がある。アメリカでは有名な二足歩行のUMA(未確認生物)で身長2m以上、足跡のサイズは最大で47cmあるという。毛むくじゃらで筋肉隆々。先住民である当地のインディアンには古くからサスクワッチ(Sacsquec)と呼ばれていて、ロッキー山脈の西側では度々このビッグフットが目撃され論争を巻き起こしている。1967年に撮影されたパターソンギムソン・フィルムは日本のTVでも話題になった。
ギガントピテクス(Gigantopithecus)の生き残りという説もある。旧石器時代に絶滅したとされるヒト上科の大型の霊長類で体重は推定最大540kgあったという。
レッドウッドの森は真昼でも薄暗くちょっと怖い感じがする。それでも僕たち夫婦は道端に車をとめ勇気を出して森の中をそろそろと歩いたがビッグフットの足跡すら見ることはできなかった。


ウィラメットバレー



オレゴン・ワインカントリー
ウィラメットバレーはオレゴン州北西部にあり面積は13500平方km(5200平方マイル)、南北250km、東西100kmに渡る丘陵と渓谷に囲まれた広大なエリア。
ポートランドからスタートしてユージンまでウィラメットバレーを4日間で巡った。途中、小さな田舎町のニューバーグで泊まったAllison Innは想像以上のレベルで驚いた(写真-3)。葡萄畑に建つホテルの外観は格好よくレストラン、バーの内装もナチュラルな雰囲気ながら洗練されている。
グルメ州で知られるオレゴンでもとりわけ当地は高品質な食材の宝庫で年中グルメフェスティバルが開催されているという。Oregon Truffle Festivalはウィラメットバレーに自生する黒トリュフの食の祭典だ。ホップ栽培も盛んで、醸造所が連なるEugene Ale Trailと名付けられた地ビール街道もある。

更にウィラメットリバー流域に広がる葡萄畑はオレゴンを代表するワインの一大生産地となっている。当地は同じ西海岸でもカリフォルニア州の気候とはだいぶ違う。年間を通して比較的湿度が高く、しかも冷涼な気候がピノノワール(Pinot Noir)の生産に適している。
フランスのブルゴーニュ産とは趣が違うが、ウィラメットバレーのピノノワールは今や世界トップクラスの実力だ。しかしナパバレーのOpus OneやBeringerのように地域を引っ張る有名ワイナリーが見当たらず、その点は大損をしている。
200以上もあるワイナリーの殆どすべてがどんぐりの背比べ的に小規模経営のため誰もが共通に知るという銘柄がない。瓶に貼られたラベルデザインもいまひとつ記憶に残らない。
これがウィラメットバレーワインの一方の特色でもありそこのところが僕にとっては逆説的に好ましく思える。



ハートフォード




「トム・ソーヤの冒険」、マーク・トウェイン晩年の住まい
ハートフォードはアメリカ北東部コネチカット州の州都で面積は47平方km(18平方マイル)、標高は18m。
1614年にインディアンが居住する当地にオランダ人が入植、砦を築きニューネーデルランドに属するオランダ領となった。コネチカット川沿いの当地はオランダ本国との貿易拠点となった。しかし1630年代に入りイギリス人が進出、結局オランダは1654年には砦から撤退した。
コネチカットの州名は「quinatucquet、長い川に沿った」を意味するインディアン(アルゴキン語)の言葉。長い川とはカナダ、ケベック州を上流とし大西洋岸に流れるコネチカット川をさす。
現代のハートフォードは保険会社の町として知られている。人口12万足らずの小さな町に30社以上の保険企業が本社を構える。町の中心部にあるマーク・トウェインの旧邸宅を視察(写真1-3)。


トウェインは19世紀末から20世紀初頭におけるアメリカ最高の文筆家と称えられている。子供の頃を過ごし「トム・ソーヤの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」の舞台となったミズリー州時代の様子はハンニバルの頁に記した。
南北戦争に従軍後、サンフランシスコで新聞記者となり1870年に結婚、翌年ハートフォードに移り住み作家活動に専念し数々の名作を発表。大人気作家となったマーク・トウェインは1973年にニューヨークの建築家エドワード・ポッターに依頼し1万4千平米の広大な庭に個性的な構えの邸宅を建設した。
しかし浪費に加えて投資の失敗などが重なり1894年、58歳であえなく破産。その後、文筆業に精を出し3年間で借金を完済、再び裕福な暮らしを復活させ1910年に74歳で死去と記録にある。トウェインは超一級の作家だったと伝えられているが報酬も破格だったのだろう。


ストウ



「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ家ロッジ
ストウはアメリカ北東部、ニューイングランド地方内陸部バーモント州にあり、なだらかな丘陵が連続する草原と森林に囲まれた緑深い町。
面積は188平方km(73平方マイル)、標高は295m。西のマンスフィールド山、東側のパットナム州立森林公園に挟まれたバレー地帯で、町の中心をリトルリバーが流れる。
トラップファミリーにとって故郷オーストリア・ザルツブルグに似ていた気候風土だったのかも知れない。彼らはアメリアへの亡命を決意、トラップファミリー合唱団として生計を立て、そしてストウの小高い丘にある農場を購入した。
第二次世界大戦さなかの1941年、トラップ大佐と7人の子供、修道女マリアが祖国を脱出しアルプスを越えて逃れるストーリーはあまりにも有名。

1959年に初演されたミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を原作として1965年には映画化され世界的なヒット作となった。「ドレミの歌」、「エーデルワイス」はじめ音楽は「王様と私」などで知られるミュージカルの巨匠、オスカー・ハマースタイン2世が作詞し、リチャード・ロジャースが作曲した。
一躍有名になった家族は1968年にストウの農場のなかにロッジを建設(写真1-6)、敷地は9.7平方km(300万坪)に及ぶ。映画「サウンド・オブ・ミュージック」でジュリー・アンドリュースが演じたマリアの三男ヨハネスが現在このロッジを経営している。
ロッジには3泊の滞在だったが1か月くらい居てもよいと思った。ダイニングも素晴らしい。オーストリア料理のトンカツ(Schweine Schnitel)、デザートのザッハトルテ(Sacher Torte)も抜群だった。滞在中、ロッジ周辺には清々しい空気感がみなぎりパワースポットともいえる気力の高まりを感じた。

ポーツマス



川沿いの土手に野イチゴが実る
ポーツマスはニューイングランド地方ニューハンプシャー州の大西洋沿岸にある町で面積は44平方km(17平方マイル)。
イングランドからの入植者の生活は苦難を極めとくに厳寒の季節には多くの死者を出した。当地にはワンパノアグ族、イロコイ族など多数のインディアン部族が住み、彼らは食料を提供し、また当地に合った農法を開拓民に教えた。
収穫期の秋に入植者がインディアンを招き感謝の意を伝えたのがサンクスギビングデイの起源になったと伝えられている。11月の第3木曜日がアメリカ国民の祝日。翌日の金曜がいわゆるブラックフライデーで年末商戦の始まりの日となる。
初期には友好的だった入植者とインディアンの関係は次第に悪化する。急増したヨーロッパ人はインディアンに土地の提供を強要、争いが頻発する。1675年に起きたインディアン戦争(フィリ

ップ王戦争、King Philip’s War)は熾烈を極め、4千人のインディアンが戦死したと記録されている。
町の南側、ピスカタクア川河口近くにあるストロベリーバンケ・ミュージアム(Strawberry Banke Museum)を視察した。ヨーロッパからの入植当時には川の土手(Banke)に野イチゴが群生していたことに由来する。
4万平方kmの屋外エリアで17世紀から19世紀の移民の生活文化や歴史的な建物を復元した生きた歴史博物館。屋内の家財道具もじっくり見たが質実剛健ながらもデザインは格調高く困難な生活の中にも様式を重んじたイングランド開拓民の気骨が偲ばれる。
当地の名は日本ではポーツマス条約で知られている。日本とロシアは1900年に戦争に突入、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの調停で1905年9月5日、ポーツマス海軍造船所で停戦の興和条約を締結した。

ホワイトマウンテン国立森林公園




森と渓谷のパワースポット
ホワイトマウンテン国立森林公園はニューイングランド地方ニューハンプシャー州北部からメイン州西部に跨り面積は3039平方km(1173平方マイル)。1918年に国立森林公園に指定された。イングランド人により開拓されたアメリカ北東部、北から順にメイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカットの6州をニューイングランドと呼ぶ。
当森林公園を横断する全長100マイルのホワイトマウンテントレイルはナショナルシニック・バイウェイに指定されている。アメリカでは道路を学術や観光資源の側面から評価し格付けを行っている。
考古学、文化、歴史、自然、レクレーション、景観の6項目を審議し120か所がナショナルシニック・バイウェイに、更に30か所が

最高ランクの道路としてオールアメリカンロードに指定されている。歴史街道「ルート66」、ミシシッピに沿って走る「グレートリバーロード」などが有名。
当森林公園で最高峰がワシントン山で標高1917m。かつて神聖な山として当地に住むインディアン部族の信仰の対象となっていて入山も固く禁じられていた。山頂近くには行っていないのでボルテックスの強さはわからなかったがパワースポットの地であることは間違いない。川に沿ってトレイルを歩いたが吹き渡る風は爽快で気力に満ちていた。
ワシントン山は突然猛烈な風が吹く危険な山としても知られている。その風力は桁外れで103m(時速372km)という風速世界2位の記録もある。東西の風が山頂付近で衝突するという地理に加えて北方の冷たい風と南の暖気が交錯する特殊な気象条件が重なって起きる現象だという。

マンチェスタービレッジ



バーモントのメープル街道
マンチェスタービレッジはアメリカ北東部バーモント州南部にあり面積は109平方km(42平方マイル)、標高は281m。東にグリーンマウンテン国立森林公園、西にタコニックマウンテンに囲まれた静かで美しいリゾート地。
バーモント州はかつてアベキナ族、モヒカン族やイロコイ族などインディアンが住む土地だった。17世紀に入るとフランス人による植民地化が進み、その後フランス領カナダ、1763年にイギリス支配化となった。1777年に反乱が勃発しバーモント共和国として独立を宣言したが、結局1791年にアメリカに併合された。
ニューヨークから車で当地に向かった。ハドソン川に沿ってくねくねと北に。ニューヨークの州都オルバニーまでトータル6時間。ニューヨーク州は北に大きく広がっていてカナダのオンタリオ州、ケベック州と国境を接する。

エリー湖、オンタリオ湖もニューヨークなのだ。
当地までは更に2時間、思いのほか遠かった。アメリカ北東部は西部とは違い大平原を地平線までまっしぐらという訳にはゆかない。日本の道路事情と一緒で渋滞もあるし料金所も多い。
僕たち夫婦は町から少し離れたTaconic Hotel(写真3-4)に宿泊した。雰囲気のある部屋に加えて洗練されたダイニングも素晴らしい。ニューイングランド地方特有の深みのあるメープルの森に囲まれた静かな場所だ。
メープルの日本名はサトウカエデ。その名の通り煮詰めた樹液は甘く香りもよい。メープルシロップはカナダのケベック産が知られているがアメリカではバーモント州が最大生産地となっている。バーモント州のもうひとつの特産品はリンゴ。かつて西城秀樹が歌ったリンゴとハチミツで有名な「ハウスバーモントカレー」はバーモント州では全然知られていない。