スプリングフィールド



ランド・オブ・リンカーン
スプリングフィールドはイリノイ州のほぼ真ん中に位置し面積は156平方km(60平方マイル)、シカゴから南西に200マイル距離。町の中心地には旧議事堂があり、いかにも州都らしい威厳のある町の佇まい。
その北側にリンカーン図書館、南側には国立公園局が管理するLincoln Home National Historical Siteがある。リンカーンの家はGreek Revival様式で1839年建築。ほかにもリンカーンに因んだ施設がひしめき、当地はまさしくリンカーンの町である。
リンカーン(Abraham Lincoln)は弁護士、イリノイ州議員、上院議員時代の25年間を当地で過ごし1861年に第16代大統領に選出された。共和党始まって以来の大統領は南部諸州とことごとく対立し南北戦争が勃発。北部州連合軍を勝利に導きアメリカの南北分裂は回避されたが、終戦6日後の1865年4月15日、ワシントン



で観劇中に暗殺された。
リンカーンは奴隷開放を推進し、一方では先住民の殲滅政策をもっとも強硬に進めた大統領としても知られている。1862年のインディアン・スー族酋長等38人の一斉絞首刑はアメリカ死刑史に残る最高記録。
Lincoln Homeの西側にあるビール醸造所Obed & Isaac’s Microbreweryで食事をした。僕は食事に合わせるビールはアンバーエールが好み。やや赤みがかった琥珀色で程よい酸味があり、少し焦げたような香りが食欲をそそる。ピルスナーは下面発酵なので冷やして飲むとうまいが、エールは発酵温度の15度から20度くらいが適温。
いずれにしてもアメリカやヨーロッパには、その時の気分や好みに応じた嗜好のバリエーションが多くあり楽しみも増えるが、日本のビールは単調でまったくつまらない。



セントルイス



栄光と挫折が交錯する町

セントルイスはミズーリ州東部にあり面積は171平方km(66平方マイル)。北部の氷河湖を源とするミシシッピ川が蛇行して南下、流域に肥沃な土壌をもたらした。自然に恵まれた当地は9世紀ころから先住民によるミシシッピ文化の中心地として栄えた。
かつて当地にはマウンド(Mound)というピラミッドと日本の古墳の中間にあたる断面台形の巨大なインディアン遺跡が数多く見られ当地はマウンドシティとも呼ばれた。当地周辺に点在した数百に渡るその多くは都市開発により失われた。
17世紀にはフランス領ルイジアナの中心地として繁栄し、1811年に開発された蒸気船はアメリカ北部とニューオーリンズ、そしてヨーロッパを結ぶ当地の河川交易をますます活発にさせた。
鉄道の登場でミシシッピ水運は下火となるが、運よく1926年にシカゴとカリフォルニアを結ぶ産業道路ルート66が開通。


セントルイスは再び交通の要衝としてアメリカ産業経済で重要な地位を占めるようになる。
1904年に万国博覧会、そしてアメリカ初となるオリンピックも開催され、セントルイスは光り輝く黄金期を迎えた。当地を象徴するゲートウェイ・アーチはフィンランドの建築家、エーロ・サーリネンの設計。ミシシッピ河畔に建つ高さ192m、幅192mの半円形はセントルイスで最も高い建築物だ。
皮肉なことにこのアーチが完成した1965年頃からセントルイスの大凋落がはじまった。その後の町の空洞化はおびただしく、犯罪発生率が急増。中心部の人口は半分になってしまい、今やアメリカでもっとも危険な都市となった。
19世紀はミシシッピの水運、20世紀はルート66の陸運に恵まれた栄光のセントルイス。21世紀の100年間、この地はどんな町に変わってゆくのだろうか。

ハンニバル



「トム・ソーヤの冒険」の作者マーク・トウェインの故郷

ハンニバルはミズーリ州北東部に位置し、面積は42平方km(16平方マイル)。
アメリカを南北に縦断するミシシッピ川に面した当地はかつてニューオーリンズやセントルイスとの海上交易で賑わった。
その繁栄の時代にこの地で少年時代を過ごしたマーク・トウェイン。彼はハンニバルを舞台に町で出会った人々やさまざまな出来事を「トム・ソーヤの冒険」、「ハックルベリー・フィンの冒険」をはじめとした数々の冒険小説のなかに生き生きと描いた。
「ベッキー・サッチャーの家」は「トム・ソーヤの冒険」の主人公ベッキーの住居で彼女はマーク・トウェイン初恋の人(写真-6)。Mark Twain’s Boyhood Homeにはトムがポリーおばさんに叱られてペンキ塗りをさせられた板塀が今もある(写真-4)。
町なかはどこに行ってもマーク・トウェイン一色、蒸気船が往来



する19世紀末のミシシッピ河畔の美しい小さな商業港の雰囲気が今も残されている。船運の衰退がその後の町の開発をピッタリ止めてしまったことがかえって幸いしたのだ。
マーク・トウェインは19世紀末から20世紀初頭における最高ランクの文筆家と評され、フィクション、ノンフィクションから歴史小説、紀行文学、文芸評論までこなした。1835年にミズーリ州に生まれ、1910年に死去。文豪アーネスト・ヘミングウェイは、「あらゆるアメリカ現代文学はマーク・トウェインのハックルベリー・フィンに由来する」と賛辞を送った。
町中にあるトスカーナ料理店The Brick Ovenには二度訪ねたニューヨークのミートパッキング界隈にありそうな店構えで、僕の好きなタイプの店(写真-2)。ワインのセレクションも洗練されている。こんな片田舎で、と最初は驚いたが、考えてみれば当地は古くから栄えた町。悠久の時の重みは食文化にも及ぶ。

ダイアースビル



映画「フィールド・オブ・ドリームス」撮影地

ダイアースビルはアイオワ州北東部にあり面積は14.6平方km(5.6平方マイル)。アイダホといえばポテト、アイオワはコーン。見渡す限りのトウモロコシ畑。その景色は海原に似て、風になびく繁った葉は押し寄せる波のようで生命力に溢れる。
そのトウモロコシ畑を抜け出たところに小さな野球場はあった。「フィールド・オブ・ドリームス」はW.P.キンセラの小説「シューレス・ジョー」の映画化。
レイ・キンセラはトウモロコシ畑で不思議な声を聞く。そのインスピレーションをきっかけに畑を切り拓き、野球場をつくったことからファンタジーがはじまる。ケビン・コスナー主演、1989年公開でアカデミー作品賞を受賞した。撮影場所は元通りの畑となったが、映画を懐かしむ人の声が集まり再び野球場に戻されたという。



明るいグラウンドは弾けるようなエネルギーに満ちていた。パワースポットに近い高揚感。広大な畑の真ん中なのでそんなはずはないと思うが元々特別な土地だったのかも知れない。あるいは映画撮影という創造を通じて土地の気力が高まったのか。いずれにしてもカラダがスッと軽くなるような気持ちよい空気感に包まれたフィールドだった。
ちなみにアメリカのトウモロコシ生産量は世界トップ、その最大生産地がアイオワ州。そして莫大な量のトウモロコシの30%が再生可能エネルギー、バイオマス・エタノールに変わる。
ガソリンにエタノールを混合するのはアメリカでは常識。「E10」というのはエタノール10%で、これが標準。「E85」もある。アメリカ最高峰のモーターレース、インディで使用される燃料は2010年から「E100」、つまりエタノール100%と規定されている。