ウイリアムズバーグ




アメリカ草創期の町並みが残る、生きた歴史博物館
ウイリアムズバーグはバージニア州。バージニア半島に位置する独立市。面積は23平方km(9平方マイル)。
1607年、イギリス人104人がアメリカ大陸にはじめて入植した地がジェームスタウン、そして隣接する町としてウイリアムズバーグをつくった。
1693年にはアメリカで2番目の大学、ウイリアム・アンド・メアリー大学(College of William & Mary)がイギリス国王の認可を得て創設された。大統領トーマス・ジェファーソンの卒業校でもある。ちなみにアメリカ最初の大学はハーバード大学。
ウイリアムズバーグは17世紀から18世紀、北部マサチューセッツと並びアメリカの文化、政治の中心地として発展し、南北戦争では南軍の本拠地となった。1699年から1780年まで英国領バージニアの首都であったが、南北戦争中に首都はリッチモンドに移り


ウイリアムズバーグは19世紀以降、次第に存在感を失ってゆく。
これらアメリカの歴史を今に残すエリアがコロニアル・ウイリアムズバーグである。ロックフェラー家の支援で町並みや多くの建築物は18世紀当時の姿に復元された。それだけではなく、この地域の人々は18世紀の服装で町を行き交い、当時の言葉遣いで会話をする。
町なかの1軒のレストランで食事をした。当然電気は無いので夕方になるとあたり一帯は真っ暗、人影もまばら。道路もよく見えないほどで、店の階段を上るのも覚束ない。オイルランプと蝋燭だけの夜の暮らしは、さぞかし不便だったのだろうと推察する。

しかし暗闇のなか、鉄鍋ごと供された肉料理とコーンブレッドは素朴な中にも味わい深く、そのおいしさに心底感動した。思い出に残る18世紀料理であった。

イエローストーン国立公園

アメリカを代表する国立公園。圧倒的迫力の大自然

イエローストーン国立公園はワイオミング州を中心としてモンタナ、アイダホ3州に跨る8980平方km(3470平方マイル)の広大な国立公園。1872年、世界で最初の国立公園に指定、1978年にはユネスコ世界遺産に登録された。
大地のオーラ、そして野生動物との出会い。まさに生きいきと活動する大自然の姿がそこにはある。目の当たりに見るバイソンの群れ(写真1-2)。グリズリー、ハクトウワシ、ムースなどなど。
運が良ければ草原を疾走する灰色オオカミを見ることもできるという。
大平原を緩やかに蛇行するYellowstone River(写真3-4)や4万リットルの熱水が一気に50mも吹きあがるダイナミックな間欠泉Upper Geyser Basin。
この公園には本当にたくさんの見どころがある。しかしここでは観光は程々にして何もしないでのんびりと過ごす時間がたいせつだ。朝と夕に散歩、日中は遠くの景色を眺めながら本を読む、夜はワインを飲む、という穏やかなスケジュールが理想的だ。
九つある公園内ロッジのレベルは高く、とりわけOld Faithful Inn(写真5-6)はイエローストーンを象徴するロッジ。1904年開業というのですでに100年以上が経過している。吹き抜けの大空間と天井まで伸びる流紋岩の暖炉には圧倒される。
ダイニングは伝統あるロッジに相応しい雰囲気を醸し出しているが、残念なことにワインのセレクションとメニュウは平凡。言葉は悪いが中途半端な高級感。この料理が数日続くと飽きてくることは間違いない。観光客が頻繁に出入りするので騒々しいというのもある。
このロッジを1泊だけにして、素朴な造りのLake Lodge Cabins(写真7-9)などで残りの数日間を質素に過ごす、というのがよいプランだと思う。

アトランタ



公民権運動発祥の地
アトランタはジョージア州北西部の町。面積は343平方km(132平方マイル)。町の西北にはチャッタフーチー川が流れ、河川域には美しい南部大自然の名残がある。アトランタの東側に降った雨水は東に流れ大西洋に、西側の雨は南に下りメキシコ湾に注ぐのは町なかを東部分水嶺が縦断しているからである。
アトランタといえばまず、映画「風と共に去りぬ」が思い浮かぶ。原題「Gone with the Wind」のWindとは南北戦争のこと。アイルランド入植者の娘スカーレットを取り巻く人間模様と、凋落してゆく南部貴族社会を描いた大河ドラマだった。
当地ではアフリカ奴隷による綿花産業で多くの富豪が生まれた。僕たち夫婦はアトランタ郊外のプランテーションを訪ねたが、まさに「風と共に去りぬ」そのもの。豪壮な家屋敷は当時の贅沢な暮らしぶりを彷彿とさせるものだったが、広い庭の片隅にある

今は使われなくなった粗末な奴隷小屋と錆びて朽ちた足枷を見た時には心底、奴隷制度の怖さを感じた。
南北戦争は、自由貿易主義の北部と、奴隷酷使により農業大国を目指す南部の戦いだった。奴隷は解放されたが、そのことにより白人と黒人の対立がかえって鮮明化され差別というあらたな社会問題に発展した。とくにアトランタでは人種間抗争は熾烈をきわめた。
アトランタに生まれ公民権運動に身を投じたキング牧師は志半ばにして1968年メンフィスで射殺された。オーバン通りにあるキング牧師の生家、教会一帯は国立歴史地区となっている。
バックヘッドの住宅街には19世紀の反映を物語る白亜の家が立ち並び(写真-1)、片や黒人街は町の片隅に追いやられている。ニューヨークやロスアンジェルスなど大都会では窺い知れない重い歴史がアトランタにはある。

アッシュビル



「アメリカで住みたい場所」トップの優雅な邸宅地
ノースカロライナ州とテネシー州との州境、南北に流れるフレンチブロード川、東西のスワナノア川が交差する東北部に位置し面積は107平方km(41平方マイル)、最大標高は650m。
驚くほど様式的な邸宅があちこちで見られる。それはアール・デコとネオゴシックなのだが、ヨーロッパの伝統建築とは違い独特なのでアッシュビル・スタイルといってもよいのだと思う。
アッシュビルという地名は日本ではあまり知られていない。しかし2007年のRelocate-America.com でアッシュビルは「アメリカで住みたい場所ベスト100」のナンバーワンになった。その他フォーブス、アメリカンスタイルなど多くの雑誌で人気の住宅地、避暑地として頻繁に取り上げられるという。
なかでもビルトモア・ハウスは部屋数250室以上という途方もないスケールで、アメリカ最大の個人邸宅。


グローブ・パークイン(写真2-5)は1913年創業の自然石をふんだんに使った豪壮なホテル。アッシュビルという地域自体が風水に恵まれた穏やかな土地柄だが、見晴らしのよい丘の上に建つこのホテルのテラス周辺の空気感は格別。本当に心地よい。多分この場所が当地最高のパワースポットなのだろう。
それもそのはず。27代ウイリアム・タフトから44代バラク・オバマに至る殆どの大統領がこのホテルを訪れたのだという。ロビーフロアには多くのアメリカ著名人の写真が飾られているが、僕はこういう権威主義的なPRの仕方は嫌い。部屋自体はさすがに昔のつくり、ふたつのダイニングとそのメニューにも落胆。
もうひとつのレストランEDISON(写真-5)はとても感じ良かったが、かつての栄光を連綿と継承してゆくというのはとてもたいへんなことなのである。

アスペン



銀山の町がアメリカ最高の山岳リゾートに変貌
アスペンはコロラド州中央部にあり、州都デンバーからグレンウッドスプリングス(Glenwood Springs)を経由してコロラド州道82号線で200マイルの奥深い山中にある。面積は9平方km(4平方マイル)、最大標高は2405m。
元々はインディアンのユト(Ute)族の居住地であったことからユートシティと呼ばれていた。
1880年に銀鉱山が発見されヨーロッパ入植者が増大、地名も1881年にはアスペンと変更された。1890年代には銀鉱山としてアメリカ最大の生産量を誇ったが1893年の大恐慌を境に町は徐々に衰退の道をたどり、人々は町から去った。
太平洋戦争後、アスペンはアメリカを代表するスキーリゾートとして再び注目を浴びるようになる。スキーに適した雪質に加えて趣のある旧式の建物がラグジュアリー感を創出した。

銀鉱山マネーで設計された高品質な建築物が長引く不況で数十年間活用されなかったことが町興しに却って幸いしたのだ。
アスペン音楽祭が1949年から始まり、1950年にはスキーの世界選手権の開催地となった。1970年代にはアメリカ富裕層や多くの歌手や俳優が移り住み、またヨーロッパ・ブランドのブティックが町並みを形成し、大自然の中にアメリカを代表する山岳高級リゾートの町が出来あがった。
カントリーの歌手、ジョン・デンバー(John Denver)は当地では圧倒的な有名人。「ロッキーマウンテン・ハイ(Rocky Mountain High)」はコロラドの正式な州歌、カントリーロード(Take Me Home, Country Road)は世界的なヒットとなった。
アスペンには設備の整った宿泊施設がいくつもある。僕たち夫婦はSt. Regisを選択したが、次は自然感あふれる山小屋風ロッジを選択したいと思う。

アーチーズ国立公園




2000以上もあるアーチ形の巨石群
アーチーズ国立公園はユタ州東南部に位置し面積は309平方km(119平方マイル)、最大標高は1732m。1971年に国立公園に指定された。
数億年前、内海だった当地の最高気温は摂氏60度。強い太陽熱で海水が蒸発し岩塩地帯となり、その上部に土砂が堆積し1000m以上の厚さを持った地層が形成された。
この地層が、4千年前の地殻変動により隆起し、コロラド川による浸食により岩塩層が溶解、水や風力の影響でアーチーズの特殊な地形が出来がったという。
当地はかつて先住民インディアンの土地だった。紀元1世紀頃から狩猟採集と農耕を営むアナサジ(Anasazi)族が居住していたが、不思議なことに15世紀のある時期に当地から消えた。
15世紀以降はユタ州の語源となったユト(Ute)族の棲みかとなっ


た。ユト・アステカ語族(Uto-Aztecan)に属する勇猛な山岳騎馬民族である。
アーチーズに数多くあるアーチの中でも、とりわけデリケートアーチはアメリカ国立公園を象徴する風景として広く知られている。(写真-1)。高さ17m。真下からだとアーチが空に聳えるように見える。
アーチーズはモアブ断層の真上にあり、景観の素晴らしさに加えて強いパワースポットの土地でもある。しかしデンバー、ソルトレイクシティの中間にあり車で6時間、さらに片道2時間を掛けて傾斜のきついトレイルを登る必要があり、その分、辿り着いた時の感動はより一層大きい。
きつい傾斜のトレイルを登っていても殆ど疲れを感じない。東京では運動不足で30分も歩けないのに、本当に不思議な感覚だ。まさに磁場の真上を歩くとはこのことなのである。