グランドキャニオン国立公園



地上最大の大峡谷に地球創生の過程を垣間見る
グランドキャニオン国立公園はアリゾナ州北西部に位置し、公園面積4931平方km(1903平方マイル)はアメリカ本土では4番目の広さ。1919年に国立公園に指定、1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。
フラッグスタッフから100マイル、ラスベガス、フェニックスから250マイル、公園には空港もあり利便性がよい。
グランドキャニオンはまさに地球の地割れ。アメリカ国内線のジェット機からでもくっきりと見える峡谷は全長280マイルに渡る。この長さは東京から京都までの距離に匹敵する。深さは1600m。もともと海底だった当地域が標高8000mまで隆起し、その台地が氷河期の水量ゆたかなコロラド川に掘削され数百万年を経てこのような景観が出来あがった。岩壁を上から眺めるとあきらかに質の異なる地層の重なりがくっきりと見える。


先カンブリア時代の海底地層から始まり過去20億年間の地層を岩壁の下から順に見ることができる。地層1センチは約1万年分に相当する。それぞれの時代の化石も見られ、恐竜がいた中生代は現代に近く、上から50m程度の浅い場所だという。まさに地球の歴史博物館なのである。
公園へのアプローチはサウスリムとノ―スリムの2か所。北側は標高が高く、夏は冷涼、広葉樹の森もあって南側とは異なる風景。11月から4月末は雪のためクローズされる。
公園内ウエストリムにはHopi Point、Powell Point、Pima Pointなど壮大な景色を眼下に眺める場所がいくつかあり、とくに2007年に出来たスカイウォークのインパクトは強烈。その名の通り、空を歩く道。
絶壁から空中に張り出した透明ガラスの道を歩くという仕掛けらしいが、高所恐怖症の人にとっては気絶ものである。

グアダルーペマウンテン国立公園



テキサスの大秘境、砂漠の真ん中の山岳国立公園
グアダルーペマウンテン国立公園はテキサス州西部に位置し、面積は350平方km(135平方マイル)、最高標高は2667m。1966年に国立公園に指定された。当地にはかつてカランカワ、キカプー、コマンチ、トンカワ、リパン・アパッチなど多数のインディアン部族が住んでいた。
公園はテキサス州の3大都市であるヒューストンから580マイル、サンアントニオから410マイル。ダラスからだと440マイル。どこから行っても車で片道7時間くらいかかる。もちろん公園内や周辺に宿泊設備はない。大自然を通り越してアメリカの大奥地といっても過言ではない。
年間入園者数が17万人前後。東京23区の半分以上の広さに1日当たり500人しか来ないのだから公園内で人に会うことなど殆ど無い。その分、野生動物との出会いは期待できる。



事実、森とキャニオンの切れ目で突然ネコ科の動物が車の前を横切った。尻尾がとても大きく長くて印象的。初めて見る本物のマウンテンライオンだ。これには大感激、ひと気の少ない過疎の国立公園だからこその幸運であった。
当地に生息するマウンテンライオンはネコ亜科最大の大型肉食獣。アメリカではピューマ、クーガーとも呼ばれ、オスの尾を除いた最大体長は1.8m、体重は100kgになるという。
グアダルーペマウンテンは概ね荒涼とした山岳とロックキャニオンがメインで、見どころとしてはMc Kittrick Canyon、Manzanita Springs、Smith Springsなど。ほかに歴史資産としてバターフィールド・オーバーランドメール駅馬車の廃墟がある(写真-4)。この地域は19世紀の西部開拓時代にはセントルイスからサンフランシスコを繋いだ郵便駅馬車の通過点であった。

キーウエスト



楽園系パワースポット
キーウエストはフロリダ州フロリダ半島から南西に伸びるフロリダキーズ諸島の西端に位置し、アメリカ本土最南端の小島。面積は19平方km(7平方マイル)。マイアミから160マイル。オーバーシーズハイウェイと呼ばれる通り、島々を繋ぐ国道1号のドライブは爽快そのもの。
1521年、先住民カルーサ族が住んでいた当地をスペイン人Juan Ponce de Leonが発見、スペインが領有権を主張した。300年後の1821年に実業家John W. Simontonが島を丸ごと2千ドルで購入、しかし翌1822年、航海中のMatthew Perryが当地にアメリカ国旗を掲げ最終的にはアメリカ領となった。あまり知られていないが31年後の1853年(嘉永6年)、黒船艦隊を編成し浦賀に現れたアメリカ海軍ペリー提督と同一人物である。
キーウエストといえばトレジャーハンティング。大航海時代、

ハリケーンで難破する船が後を絶たずキーウエストには多くの金銀財宝が今も沈んだままになっている。そしては大物狙いのスポーツフィッシング。そしてアーネスト・へミングウェイ。キーウエストはアメリカ人の冒険魂を次々と刺激する。
数々の女性遍歴、酒豪で知られるヘミングウェイはアメリカ男性憧れの的であり、デュバルストリートのバー、スラッピージョー(Sloppy Joe’s Bar)には大勢のひげ自慢のヘミングウェイもどきが毎夜集い、酒を飲み、パパ・ヘミングウェイを語る。
まったりした空気感が漂うキーウエストは癒しのパラダイス。マロニースクエアでは夕方になると海に沈む夕陽を見る人でごった返す。太陽が半分になったところでスクエアにはロマンチックな空気が充満し、太陽が海に消え入る直前に皆いっせいに奇声をあげる。そして誰彼なしに声を掛け合う。何とも能天気でハッピーな土地柄なのだ。

カスター州立公園



美しい森と湖、バイソンが群れる大自然
カスター州立公園はサウスダコタ州西部に位置し面積は110平方km(43平方マイル)、最大標高は1439m、1912年にサウスダコタ州立公園に指定された。公園はブラックヒルズ国立森林公園のなかにあり、19世紀後半にアメリカ軍とインディアンが激戦を繰りひろげた地としても知られている。
カスターの名称は当時のアメリカ陸軍第7騎兵隊で知られるカスター将軍(George Armstrong Custer)に因む。彼は南北戦争で活躍し、その後インディアン・シャイアン族の討伐で功績を挙げた。1876年に始まったブラックヒルズ戦争でサウスダコタのインディアンを攻撃し、クレイジーホース率いるスー族に敗れ戦死した。壮絶をきわめたリトルビッグホーンの戦いである。カスター将軍は英雄として数十の西部劇に登場したが、1970年以降は風向きが変わりこの手の映画は放映されなくなった。

公園には大自然の風景と多くの野生動物が観察できる長さ29kmのWildlife Loopがある。とりわけバイソンの群れは迫力満点、車や人間には目もくれず悠々と道路を横断する。公園内に1400頭が棲むという。
僕たち夫婦はシルバン湖の畔にあるSylvan Lake Lodgeに4泊した。このロッジはフランクロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)設計の本館と湖畔の林間に点在するキャビンがある。本館レストランの内装は素晴らしいし高台の窓からの眺望も最高(写真-7)。しかし僕たちはキャビンを選択。すきま風が吹く老朽化した山小屋だが、森の風景に溶け込み中々よい雰囲気だ。
ロッジには戸外に木製のテーブルと焚火のアウトサイドファイヤーピットと呼ばれる設備があって、何だか森のなかで暮らしているような気分になれた。薪をくべ、キラキラと輝く無数の星を眺めながらワインを飲む、この時間が格別なのだ。

オルガンパイプ・カクタス国立モニュメント



アメリカ、メキシコに跨るソノラ砂漠固有のサボテン
オルガンパイプ・カクタス国立モニュメントはアリゾナ州南部に位置し、面積は1330平方km(514平方マイル)、最大標高は509m。1937年にナショナルモニュメントに指定された。
オルガンパイプ・カクタスは柱サボテンの一種。単幹から枝が林立する形状が楽器のパイプオルガンに似ていることから名付けられた俗称で正式にはStenocereus Thurberiという。成長は遅く、最大高の8m、幅4mになるまでに150年かかる。4月から6月にかけて白い花が夜に咲き、コウモリにより受粉され、テニスボールほどの大きさのスイカに似た風味の果実はスイカよりはるかに美味だというが、僕はまだ食べたことがない。
ゲートシティはアホ(Ajo)。発音は日本語の阿呆と同じ。当地はアホ連山(Ajo Range)、アホ山(Ajo Mountain)そして公園内を周回するアホ道(Ajo mountain Drive)などアホのオンパレードである

が、その意味は「絵を描く」こと。当地に住むインディアン、パパゴ族の言葉である。ちなみにアホ・バカ・スープ(Sopa de Ajo y Vaca)という頓珍漢なメキシコ料理があり、スペイン語でAjoはニンニク、Vacaは牛肉。
アホはアリゾナ州ピーマ郡に属する面積73平方km(28方マイル)、インディアン3000人を含む人口4万人の田舎町である。19世紀に銅鉱脈が発見され20世紀前半にはアホ鉱山は大繁栄したが1983年に閉山した。
当地はメキシコ国境に接し、南に僅か3マイルの距離にメキシコ、ソノラ州ソノイタ(Sonoita)の町がある。僕はレンタカーで何度もメキシコ国境を越えたことがあるが車の旅行に不慣れな人は注意を要する。メキシコはジュネーブ条約に加盟していないので事故などに際してアメリカのレンタカー保険は適用外となるからだ。

オリンピック国立公園



アメリカ最高湿度と最高雨量、鬱蒼と茂る温帯雨林
オリンピック国立公園はワシントン州にあり面積は3734平方km(1441平方マイル)、最大標高はオリンポス山で2427m。1938年に国立公園に指定、公園内のホー・レインフォレストは1981年にユネスコ世界遺産に指定された(写真1-2)。
シアトルからは直線では30マイルの距離だが、海峡を挟んだオリンピック半島北端にあるので車でいったん南に迂回しタコマ、そしてオリンピアを経由する必要がある。
オリンピック国立公園はまったく異なった景観を持つ三つのエリアをひとつに統合して成り立っている。
太平洋岸の海岸線、オリンピック山脈地帯、温帯雨林である。太平洋岸の海岸線は森と砂浜が一体化され寒流が打ち寄せる壮大な眺め。海岸には巨大な動物が白骨化したかのようなゴツゴツした流木が散乱し不思議な風景をつくっている。


氷河に覆われたオリンピック山脈地帯は清涼感があり壮大。夏季には高山植物が咲き乱れ一面のお花畑となる(写真3)。西側のオリンポス山は太平洋の湿った空気の影響を受け降雪が多く氷河が見える(写真4)。反対に東側のデセプション山は乾燥した岩肌がむき出しの山岳であり際立った対比を成す。
そしてオリンピック国立公園の最大の見どころともいうべき温帯雨林。ここはまさに異界。山脈地帯の爽快感とは一転、どんより重く湿った空気が垂れこめる。昼でも薄暗い。地面はシダ類で覆われ、樹木からは苔が垂れ下がり異様な雰囲気。負のパワースポットとでも表現しようか、魔物がひっそりこちらを窺っているかのようにも感じる。
このエリアの雨量、年間3700mmはアメリカ本土最高、湿度でもアメリカ最高を記録している。

オクラホマシティ



ゆたかな町並みの背景に先住民の末路が見える
オクラホマシティはオクラホマ州の州都。面積は1608平方km(621平方マイル)、最大標高は396m。1830年、アメリカ政府はインディアン移住法を制定。風が強く、時には竜巻が襲いかかる痩せた不毛の当地を強制移住先と決定した。
オクラホマは赤い(Okla)人々(Homma)、つまりのインディアンを意味する。先祖代々数千年に渡り住みなれた土地を追われた東部数万人のインディアンが南部オクラホマに向かったその道は「涙のトレイル(Trail of Tears)」として今も歴史に残っている。途上、多くの死者を出したという。
1889年、オクラホマは突然ヨーロッパ入植者に提供されることとなり、同年4月22日、1万人以上がこの地に押し掛け、我先にと土地の所有権を主張した。あっという間に白人の町と化した当地はスーナーステイト(Sooner State、早い者勝ちの州)と呼ばれた。



1928年、オクラホマで油田が発見されオイルブームが沸騰する。人々はオイルマネーを原資に川を堰き止めダムと人造湖を造り、広い土地に豪壮な住宅を建設。オクラホマは経済に恵まれた美しい町に変貌した。オクラホマ州のインディアンの人口比は減り続け、現在55部族30万人が住む。
当地出身のウィル・ロジャースはインディアン、チェロキー族の末裔。映画俳優であり社会評論家としても尊敬されている。彼の名前を冠した学校はオクラホマだけで13校、ロジャース・パーク(写真1-2)、カリフォルニアのウイル・ロジャース歴史公園、テキサスのウイル・ロジャース記念センターをはじめアメリカには彼の名に因んだ施設が多くある。
オクラホマシティにあるウィル・ロジャース国際空港のターミナル正面には馬に跨ったウィル・ロジャースの彫像が飾られている(写真5)。

エルパソ



国境の町
エルパソはテキサス州最西端に位置し面積は664平方km(255平方マイル)、最大標高は1140m。ロッキー最南端であるフランクリン山脈が町を東西に二分し一帯は州立公園となっている。
アステカを征服したスペインは1659年、当地にエルパソ・デルノルテの町を創設。1821年、メキシコの独立革命によりメキシコ支配下に置かれる。しかし1848年、アメリカに敗戦したメキシコは当地を二分し北側をアメリカに割譲しエルパソとなった。
南側のメキシコ領シウダード・ファレスは治安最悪の町として名高いが、最近その地位をホンジュラスのサンペドロ・スーラに譲り、世界ワースト2位に落ちたという。とはいうものの僕は国境を越えていくつかのメキシコの町に出掛けたが、どの町も思いのほか穏やかだった。もちろん用心は必要だけれど旅の基本はチャレンジなのである。

エルパソ人口の80%がメキシコ系アメリカン人ということもあり、町の印象は殆どメキシコ。タコス、エンチラーダはうまいしテキーラ、コロナビールは最高だ。コロナはカットしたライムを瓶の中に突っ込んで瓶ごと飲む。この飲み方スタイルの広告宣伝は大ヒットとなったが、それが災いして同社は瓶のリサイクルにアタマを悩ませているという。
エルパソの町なかをアメリカ大陸横断鉄道が走る(写真-1)。現在は貨物輸送がメインだがエルパソ駅にも停まるアムトラック・サンセットリミテッド号はニューオーリンズとロスアンジェルス間を片道48時間で結ぶ。
開通間もない1872年(明治5年)には不平等条約改正交渉に渡米した木戸孝允、大久保利通、伊藤博文はじめ総勢100名の岩倉使節団が乗車した。この年、汽笛一声、新橋から横浜に日本最初の鉄道が開通した。

エバーグレーズ国立公園



大湿原に幅150km水深30cmの川が流れる
エバーグレーズ国立公園はフロリダ半島の南端に位置し面積は13158平方km(5078平方マイル)。これは東京都の3倍にあたりデスバレー、イエローストーンに次ぐアメリカ本土で3番目に広い国立公園。1947年に国立公園に指定、1979年ユネスコ世界遺産に登録された。
エバーグレイズは生態系の多様性に富み400種の鳥類、100種の魚類が生息し、多くの珍しい植物が自生する。ワシントン条約で輸出入が規制されている希少樹木であるマホガニーの大木(写真3)も見られる。
マイアミからインターステイツ1号線を南に30マイル進むと公園のゲートシティとなるHomesteadがある。道中、幅2、3mほどの小川をそっと覗き込むとワニが浮かんでいるので吃驚仰天。
何でこんなに車通りの多い、しかも狭苦しいところに暮らしてい


るかと思ったが、よく考えてみるとワニは道路が出来るずっと昔の太古の時代からこの川に棲む先住者なのだ。
これは序の口、国立公園エリアに入ると巨大なワニが草むらでごろごろ昼寝をしている。ワニ好きの僕としては何時間でも見ていたい幸せな光景だ。アメリカ7番目の大都市マイアミからたった1時間。これほど自然に恵まれた環境が地球上に残っていることに感動。
この地域のワニはおもに2種類。アリゲーター(Alligator)は最大で5mほどで口が扁平なのが特徴。恐ろしい顔に似合わず性格は温和で攻撃性はない。クロコダイル(Crocodile)は最大で6m以上になり口が尖って細長い。こちらは比較的危険といわれている。
しかしどちらのワニも、僕が相当傍まで近づいても全然動じず無関心。何故ならワニはフロリダでは食物連鎖の頂点にいて、怖がるものは何もないからだそうだ。

ウォルナットグローブ



「大草原の小さな家」ローラの足跡を辿る、ぺピンの続編
ウォルナットグローブはアメリカ中北部、ミネソタ州南西部にあり面積は2.8平方km(0.6平方マイル)、人口900人に満たない小さな町。1867年に生まれたローラ・インガルスは7歳までウィスコンシン州ぺピンの大きな森の小さな家(Little house in the Big Woods)で暮らし1874年に当地に移住してきた。
この時代の生活は「プラム・クリークの土手で(On the Banks of Plum Creek)」に描かれている。収穫前の小麦がイナゴの被害に遭い、全滅。借金も増え、父親は金の工面のため東部に出稼ぎに行く、という苦難の日々が続いた。
僕たち夫婦はゴードン農場とLaura Ingalls Wilder Museumでローラの住居跡を見学(写真3-6)、大きな衝撃を受けた。それは家というより、むしろ土手に掘られた穴倉だった。
しかし横穴小屋(Dugout Depression)は開拓時代の当地では普通

に見られた住居だったようだ。土の家は冬は暖かく夏は涼しいが、時には牛が屋根を踏み潰して崩落することもあったという。ヘビやクモにも悩まされたという。
ローラの父チャールズはイングランド系、母キャロラインはスコットランド系の移民だった。WASP(White Anglo-axon Protestant)といわれる彼ら夫婦は、デンマークやスウェーデン移民が多かった中北部アメリカのなかで正統的アメリカ人としての誇りを持っていたと後にローラは書き遺している。同時代のイギリスはビクトリア王朝華々しい繁栄の時代。ひきかえ新大陸の開拓民の生活は貧窮をきわめた。
しかし土の家で遊ぶ絵本のなかのローラは元気はつらつ、とても幸せそうに見える(写真-6)。数々の困難にもめげない彼らには西部開拓という大きな夢があったからだ。ゆたかさとは、そしてこころの幸せ観について考えさせられた。